arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

やっぱりアホや

先日、運転免許証更新の講習をうけて、新しい免許証になった。
ゴールドではないが、1回の軽度の違反だったので、青色でも有効期間は5年である。
次回の更新時は、70歳以上の高齢者講習が必要になると思う。
最近はコロナ関係のニュースばかりだが、コロナ前は、高齢者の自動車事故のニュースが、話題になることも多かった。
それに関連して、高齢者の免許更新時の制度変更等の話題も多く、70歳以上に義務付けられた高齢者講習が、申込みが多く、期日内の受講が出来ない等の問題なども報道されていた。
最近はコロナ報道ばかりで、高齢者講習の現状がどうなっているのか、知りようがない。
以前は、他人事であまり関心がなかったが、自分の新しく更新された免許証を見て、次回の更新時からは高齢者講習が必要になると知ると、突然、他人事から自分事になった。
全く身勝手なものだ。

ふと気づいた。次回更新時の高齢者講習の心配をする前に、その時に、この世にいるかどうかが問題だ。
持病持ちの私は、それが一番問題なのだ。
高齢者講習の心配など二の次である。
健康管理が一番なのだが、なにせ自覚症状が全く無いので、のほほんと生きている。

健康管理と言えば、先日コロナワクチンの接種券が来た。
早速、予約しようとネットを開いたが小牧市の集団接種会場や、市内の複数の接種可能な医療機関も空きがなかった。
ネットの新規受付の更新が、多分週初めだろうと思い、7日の月曜日に再度申し込みに挑戦することにした。
丁度その日は、愛知県の集団接種会場の一つである県営名古屋空港会場も小牧市対象の接種日の6月16日と6月18日分の申込み開始日に当たる。
自宅から30分ぐらいで行けるので、小牧市内が取れない場合、そちらに申し込んでも良いと思っていた。

ところが、私より先に接種券が届いていた孝子は、ワクチン接種をしない。私のワクチン接種は、他人事と思って、だまていれば良いのだが、一言口をはさむ
「空港は、モデルナよ」
「それがどうかした、空港会場は4000人だから取りやすい」と、私が答えると
ファイザーのほうが先に承認されたのよ、モデルナはついこの前」と孝子
「どっちでも大して変わらないよ」と言い返すと
「ワクチン打ってコロリなんて笑えないよ」と孝子は縁起でもない事を言う。
「俺は、誰かさんがワクチン打たずに、コロナでコロリと逝ったら、墓の前で大笑いしてやるよ」
「私が打たなくても、ある程度ワクチン接種者増えれば、コロナはなくなるよ」と、ごもっともなことを孝子が言う。
「そうあせて痛い思いすること無いよ」と更に付け加えた。
「副反応の何の、四の五の言って結局注射怖いだけか」と私が言い返す。
孝子は昔から注射嫌いなのである。
自分は、痛い目にあわず、みんなの接種でコロナの収束を待つ、他力本願の考えに徹している。

そんなやり取りがあったので、私も孝子の意見を一寸だけ受け付けて、空港会場は辞めにした。
その結果、結局空きが少なく、1回目が7月18日、2回目は8月8日と遅い接種予約しか取れなかった。
政府が言っている7月いっぱいの接種には間に合わないのだ。
ま、良いか。

ところで、前回書いた昔の地球が見えない話、今になってとんでもない勘違いに気づいた。何光年とと言うのは、距離の単位、勘違い勘違い、宇宙の膨張が光の速度より速ければ別だが、昔発した光は、瞬時に通過していっている。
遠い遠い銀河の光も、遠い遠い昔、発した光が今地球に届いているが、その光は一瞬で通過して行く、最初の時間のズレは生じるが、その後は地球も、その銀河も同期して時間が進んでいく。

昔の地球なんて見えるはず無いのだ。
やっぱり私はアホだ。
それに今気づいたのも、大アホ!

この間仕事で大垣市に言って、コンビニで弁当を買って、ペイペイで20%還元されて、大喜び。
ペイペイは月ごとに還元率が高い自治体がある、今月は大垣市だったようだ。

500円の弁当を買って100円還元、大感激である。
こんな単純な事で、感激しているくらいが丁度いい。
私の脳みそはその程度である。


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分からん

私が生まれた長崎県では、良く分からないことを、
「よう、わからん」と言う。
私の、妄想癖は、良う分からん事を、調べもせずに、考え続ける事を楽しんでいるのかも知れない。
情報化時代の今日、ネットで検索すると簡単に解決することが多い。
でもね、簡単に答えが分かると、
「つまんない」と思わない?

私の好きな妄想は、大半が宇宙に関すること。
自分に全く関係のない事を、考える。夢みるように・・・
そして、馬鹿なことを考えてるなぁ〜と時々心のなかで笑ったりする。
『馬鹿の考え・・・』である。

前回、遠い遠い宇宙を見ることは、遠い遠い過去を見ること、と書いた。
今朝は、遠くを見ることは、過去を見ることならば、地球が誕生した40数億年前の地球が、なぜ40数億光年先の宇宙に見えないのか?
と全く馬鹿げた考えが浮かんで、妄想が始まった。

宇宙は膨張している。地球も誕生した時の位置から、外側へ移動しているはずである。
それならば、現在の地球から宇宙の誕生した方向の、どこかに過去の地球が見えるはずである。
でも、過去の地球が見えたと言う報告は何処にも存在しない。
という事は、宇宙の膨張とは、宇宙空間の膨張で、その空間に存在する地球を含む星々は、誕生した位置に固定しているのか?
勿論、太陽系の惑星である地球が、太陽の周りを回ったり、天の川銀河にある太陽系自体が、天の川銀河の渦の中を動いたりしているだろうが、その銀河の位置自体は定位置に収まっているのかも?

そう考えると、過去の地球が見えないのは当たり前のような気がする。
宇宙空間の中にあるものは、宇宙空間と一体になって動く、と言う私の考え自体が間違いだったのかも知れない。

地球に居ると、大気中のものは大気の流れに乗って動く、水中のものは水の流れにのる。
しかし、宇宙空間とは、そのエリアを構成する分子や原子すらない。
なんにも無いのだ。いくら膨張していようが、その何にも無いエリアが広がっていっているだけで、その中に存在する地球を含む星々は宇宙空間の膨張には無縁なのかも知れない。

宇宙誕生直後は、高温のため陽子や電子は纏まることが事ができないプラズマの世界で、光さえ直進できなかった。
その後、温度が下がり、陽子が電子を拘束し、原子の誕生すると、光が直進できるようになり、宇宙が晴れわたる。
その時初めて、宇宙の背景の暗闇が誕生。
したがって、宇宙の空間とは何にも無いのだ。

その誕生した原子たちが、長い年月をかけて色んな種類になり、原子と原子が結びついて分子となり、その分子が結びついて星間ガスや星になって、現在に至ったのだろう。

ま、専門家では無いので、私の知識からの想像で、多少の間違いはご勘弁願いた。

待てよ、ここでふと気づく。
宇宙空間は、膨張していても星々はその膨張の影響を受けず、誕生した位置に存在すると考えれば、過去の地球が見えないのは分かるが、大きな疑問が湧く。
地球から見た星々や銀河は、殆どが遠ざかっているのだ。
だからこそドップラー効果赤方偏移を利用して、遠い遠い宇宙の始まった地点まで、何光年であるか計算ができる。

やっぱり地球は宇宙の始まった地点から外側へ動いていることになる。
その動きは、広い広い宇宙空間の何処を起点とするかで変わる。
地球を起点に考えれば、地球は固定で宇宙の誕生した場所や、他の全ての星々が動いていることになる。

だから地球上の知的生命体である人間は、地球上からは過去の地球を見ることが出来ないのか。

「よう、わからん」
頭がパンクしそうである。
ま、バカはバカなりに考えて、ボケ防止の頭の体操にはなったかな。

明日は、久しぶりの仕事日である。6月は、運転免許証の更新講習や、コロナワクチンの摂取で忙しくなりそうだ。
自慢ではないが、運転免許証はゴールドではないので、1時間の講習を受けないといけない。
それが6月7日。

ワクチの摂取は、接種券がまだ来てないので、予約してないが、接種券は6月2日までに来る。
摂取の予約や、仕事の調整でちょっと大変になるかも知れない。
その合間に、この続きの妄想に耽ったりもする。

忙しくなっても、忙しいと思える健康な自分が居ることが、最高の幸せなのかも知れない。

異常なし

今日は通院日であった。
朝4時過ぎから眠れず、又々、ベッドの中妄想に耽って、6時半から活動開始。
昨夜遅くまでかかって、孝子が焼いてくれた特別に美味しいパンで、朝食を済ませて、朝ドラのあと、先週の検査結果を聞きに病院へ向かった。

内科の待合スペースで、幾つもある4人がけの長椅子の一つの右端に腰掛けて、緊張気味に、大型モニターに表示される消化器内科の中待合へ案内する、案内番号表示に時々目をやる。
私が座った椅子の左側には、一人分のスペースを開けて、30代と思しき夫婦が座っていた。
ここの病院に通い始めた頃、この様な夫婦や親子が多いのに驚いた。
私が育った長崎では、夫婦や親子で病院に来る人は、介護や付添が必要な人が大半であった。

ところが、こちらでは、まるで遊びにでも出かけるように、家族が付いてきている。
茶店文化が発達した愛知県、病院も喫茶店感覚なのかも知れない。
今は、コロナ禍、通院する本人以外は病院に来るのは避けたほうが良いと思うのだが、あまり変化は無い。
それでも、愛知県人は、マスク着用やソーシャルディスタンスは、きちんと守る。
待合スペースの半数以上の人が、マスクを二枚重ねで着用していた。

私の診察予約時間は9時半。何時も時間通りに中待合に入った事は無い。
ところが、今日は予約時間より少し早く中待合に案内された。

何か、嫌な予感。
話が長くなるのかな?
かんて考えて、中待合の椅子に座ると、数分で診察室に呼ばれた。

「お変わりありませんか」
とお決まりの質問。
「いつも通りです」
と私もお決まりの返答を返す。
「先日の検査結果ですが、結論から言うと、とりあえず問題ありません」
ほっと一安心である。
その後、CT画像の一通りの説明。
血液検査値の説明がなされた。
先生が「とりあえず」と付け加えたのは、血液検査の癌の腫瘍マーカの一つが上昇傾向にある為であった。

次の検査日が8月中旬で、その結果を見て、胃カメラ検査や大腸内視鏡検査が必要かどうか判断する。
異カメラは良いが、大腸内視鏡検査はご勘弁願いたい。
検査前日からの検査食や下剤の服用、検査日の前準備の不快さは最悪である。
検査自体は、この年になると恥ずかしくも何ともない。
イボ痔を見られるのが、一寸だけねぇ〜

診察の最後に処方箋を書いてもらい、病院のすぐ横にある行きつけ薬局で、薬を受け取り、降りしきる雨の中、帰路についた。

帰宅して、心配しながら待っていた孝子に検査結果を報告。
昼食は、お祝いの手こね寿司であった。

梅雨の晴れ間

青い空の所々に白い雲が浮かんでいる。
中部地方は、うんと早く梅雨入りし、ぐずついた天気が続いていた。
久々の梅雨の晴れ間、しかも日曜日、普段なら家に居ることはまずない。
しかし、愛知県も緊急事態宣言発令で、不要不急な外出は自粛するように要請出ている。
このコロナ禍、天気は晴れても心はなかなか晴れない。

今朝は、早く起きたのだが、なんとなく気乗りせず、6時半からのラジオ体操にも行かなかった。
何時もだと、桃花台中央公園でラジオ体操をして、そのままウォーキングコースを歩く。
歩きながら、スマホNHKラジオアプリでラジオ英会話を聞いている。
前週の聞き逃しサービスの月曜日から木曜日までを聞き終わるのに、丁度一時間。
朝のウォーキングも丁度それくらいの時間で、8時前に帰宅。

汗だくの下着を着替えて、私は朝食、孝子は洗濯を始める。
最近は孝子が朝食用のパンを手作りして、用意してある事も多い。
そんな時は、パンのスライスから朝食作りを始める。
孝子は、朝食抜きが多いので、食べる人が作る決まりである。
パン用の包丁はあるが、均一の厚さに切るのは至難の技である。

私は、一枚のパンに色んなものを乗っけて、二つ折りにして食べる。
厚すぎると、二つ折りにしづらいし、薄いと裂けてしまう。
たかがパン、されどパンとでも言うべきか。
そんな、悪戦苦闘して朝食を作り、あっという間に食べてしまう。

孝子の方は洗濯であるが、洗濯は洗濯機がやってくれる。
孝子が、洗濯物を洗濯機に放り込んで、スタートスイッチをオンにする。
その頃を見計らったように、8時の朝ドラの音楽が始まる。
ソファーにちょこんと座った孝子は、テレビに見入っている。
私の方はその頃やっと朝食のパンの準備ができて、テーブルで食事中である。

私は、食事が終わると、食器を洗い片付ける。
孝子は洗濯が終わるまで暫く時間があるので、朝ドラのあと「あさイチ」をみたり、民放の朝のワイドショーを見たりして、洗濯機の終了音が鳴るのを待つ。

最近のワイドショーの話題の大本が新型コロナである。
政府の対応にコメンテーターが、いろんなコメントを言っているが、我が家の評論家孝子も、それに加わって、言いたい放題を言っている。
私にも同意を求めてきたりする。いい加減に返事をしていると、
「真剣に考えんかい」と、
とんだトバッチリが来る。

そんな訳で、朝食後は出来るだけ孝子とソーシャルディスタンスを確保している。
勿論、この場合のソーシャルディスタンスは、コロナのディスタンスより大きい。出来れば、自室に退避するのがベスト。
しかし、自室の退避するだけの度胸は私にはない。
あさイチ」の内容が面白くて、孝子が民放にチャンネルを回さないことをひたすら願うばかりである。

ここで、ふと気づく、『チャンネルを回す』・・・
私も昭和の人間だなぁ〜
ガチャガチャとチャンネルを回し、チャンネル争いという言葉があった子供の頃を思い出す。

話が脇道にそれた。
孝子は、最近ツイッターにハマっている。私が真剣に相手をしない時は、ツイッター仲間と鬱憤を晴らししているようだ。
私は助かるが、孝子の精神衛生上どうなのか疑問である。

孝子は、生真面目である。
生真面目な人は、現実を真剣に見つめすぎて、不平不満が多くなる。
損な性格だと私は時々思うことがある。

私みたいに、適当にノーテンキで、『世の中、平和。人生楽しまなくちゃ』なんてお気軽に思っているのも、あまり良くないのだろうが。
孝子に言わせると
「あんたみたいなのばかりだから、日本が劣化した」と、
どやされそうである。

でもね、色々言ったけど、孝子はコロナ禍の時間を有効に使って、パン作りなど料理の腕を上げ、私に美味しい料理を食べさせてくれる最高の伴侶である。
(この締めの数行が、万一の時のリスク回避に重要な意味をもつ)

あるがままに

最近ブログをサボり気味なので、何か書かないといけないと思っている。
しかし 、なかなか良いネタが思い浮かばない。
そこで、昔からなかなか捨てることが出来ずにいる、本やノートを開いてみた。
20代後半から30代にかけて、私は、電気の勉強に没頭していた。
その頃使っていた本やノートは、どうしても捨てることができずに埃をかぶっている。
今では、そのノートや本を見ても、さっぱり分からない、それだけ私も年を取ってしまったのだと思う。
分からなくて何の役にもたたない本やノートを、大切にとってあるのが、なんとなく滑稽である。
微分積分微分方程式など、難しい計算を昔は難なく解いていた。
ま、そんな時代も有ったのだ。
昔の思い出に浸っていて、ふと我に帰る。

昔の本やノートを調べてまで、ブログを書こうとしている自分が滑稽になった。
この年になって、自分は、こんなこともできる、こんなことも知っていると、ひけらかしてどうなる。
昔の本やノートを見て、やっと思い出した知識に過ぎない。
自分の、ボケ防止にはなっても、 ブログに書くべきものではない。
今の自分、今の実力、あるがままの自分を、背伸びせずに書くのが良い。

もうそれほど頑張らなくて良い年になった。
高みを目指して頑張っていた若い頃、そのおかげで、他人から見ると低いかも知れないが、それなりの高みには登った。
今は、その頃には戻れない自分を、素直に受け入れて、氷の山が少しづつ溶けていくように、裾野を広げていく時期かも知れない。
俗に言う、トンガリが取れて丸くなる時が来たのだ。

氷の山が溶けて、やがて回りに広がった水は大地に戻る。
その大地に新しい生命が芽生える。
そう言う人生の終わり方も、なかなかオツである。

今朝は、3ヶ月に一回実施している血液検査と造影剤CT検査の為、病院へ行った。
採血が混み合うので、早めに出かけ7時30分には病院についたのだが、私の採血順番は31番であった。
それでも早く行ったおかげで、早めに検査が終わり帰宅。こうしてブログを書いている。
今日は、夕方から仕事が入っていて、帰宅するのは夜中12時近くになると思われる。
昼食後は、少し昼寝でもして夜に備えようと思っている。
もう若く無い、無理は効かないのだ。

こんなあるがままの毎日を記録するのもブログなのかも知れない。
来週、今日の検査結果が判る。
それまでは落ち着かない日々である。まな板の上の鯉も、がんの再発宣告は勘弁願いた。

妄想(内と外)

今朝は6時前に起きた。
いつもの通りと言いたいところだが 、最近はちょっとサボり気味で、朝寝することが多かった。
当然、ラジオ体操もサボっていたのだが、今朝は、久しぶりにラジオ体操に行った。
土曜日ということもあって、参加する人が随分と増えている。
ラジオ体操が終わると、 いつものウォーキングコースを1時間ほどかけて歩いた。
少し前までは、スロージョギングをしていたのだが、ここ数日気温が上がって、スロージョギングをすると大汗をかく、そこで最近は、少し早足でウォーキングをするようにしている。

自宅に帰ると、すでに時刻は8時前である。
いつものように、パンにスライスした玉ねぎとチーズを挟んで、その上に線キャベツを乗せて二つ折りにして食べる。
当然 、手を離すとパンが開いてしまうので、食べ始めたら、片手にコーヒーカップを持ち、食べ終わるまでいっきである。
胃が小さい私は、早食いをすると気分が悪くなるのだが、注意しててもつい早食いになってしまう。
案の定、今朝もしばらくすると気分が悪くなり、ベッドに寝込んでしまった。

少し寝ると、気分は回復してくるのだが 、それでも1時間近くかかる。
その間、ベッドの中でいつもの妄想を始める。
前回、宇宙の始まりについて書いたと思うが、今朝は、その続きみたいなものを妄想し、時間を潰した。
宇宙の始まりはビッグバンであると前回書いたのだが、その光景を頭の中で想像してみる。
空間の中にある、ひとつの点が、急激に膨張していく光景が、頭の中に浮かぶ。
そして、138億年の時間が過ぎ、現在に至る。
従って、遠い遠い宇宙の果てを見ると、そこが宇宙が始まった、遠い遠い昔の世界であると前回書いた。

待てよ、ここでちょっと考えてみると、最初に頭の中に浮かんだ光景の、急激に膨張していく、最初にあった一つの点。その内側に、私達の住む地球が誕生した。その為、視点がその点の内部に入ってしまった。
最初に頭の中で想像した、ビッグバン以前の、何もない空間は何だったんだろうか。
宇宙の果てと考えている世界は、ビッグバンと呼ばれる膨張が始まった点には違いないが、あくまでも最初の一点の内面にすぎない。
その外側には、最初に頭の中で考えた、何もない空間が広がっているはずである 、それは何であろうか?
宇宙の外側、つまり、外宇宙とでも呼ぶべきものなのかも知れない。

これも以前書いたが、ミクロの世界に話を変える。
私たちの体の中にいる、小さな小さな微生物やウィルスに知性があれば、彼らが考える宇宙は、私たちの体の中である。
彼らからすれば、私たちの体の体表面の内側を宇宙の果てと考える。 その外側に別の世界があることを知ることは至難のわざである。
同じことが、私たち人間が見ている宇宙にも、言えるのかもしれない。

そんなつまらないことを考えらながら、時間を潰し、体調も回復してきた。
食い過ぎて気分が悪くなったのに、昼が近づいた今、昼食は何かな〜なんて、又食べることを考えている。

つくづく食いしん坊である。
胃がん肝細胞癌、死にかけている人間とは、自分でも思えない。
癌なんて、悪友の一人にすぎない。
うまく付き合う事だ。
コロナと共存するより、はるかに簡単なのかも知れない。

妄想(過去・現在・未来)

遥か彼方、遠い遠い宇宙の赤ちゃん銀河が回転している様子を、国立天文台東京大学などの研究チームが観測したそうだ。

まさにロマンである。ましてその方法は、宇宙に浮かぶ重力レンズを使って観測しそうだ。
アインシュタインの重力は光を曲げる、もっと重力が大きいとブラックホールとなると言うSF小説の様な理論。
りんごが落ちるのは、当たり前、光も落ちる世界が宇宙にあるのだ。

この観測された赤ちゃん銀河は、宇宙誕生後、わずか9億年後の銀河だそうだ。
9億年と言えば、ものすごく長い時間のようだが、宇宙が誕生したのは138億年まえ。
9億年なんて、ちょいの間である。

そんなニュースに、私の頭が又妄想を始める。

宇宙誕生は、物質が誕生して直後にビッグバンにより猛烈な勢いで拡散していったのが、始まりだと言われている。
つまり初めは点だったのが、空間的な広がりになったのだ。
そして現在、宇宙と呼ばれるこの空間のなかの天の川銀河、その中の太陽系。
太陽系の第三惑星が地球。
その中に私達が生活している。

私達は宇宙から見ると小さな小さな、細菌やウイルスよりも更に小さな存在なのだ。
その小さな小さな私達が、宇宙全体のここと知るのは不可能に近い。
それでも、少しでも知ろうとしている。

遠い遠い宇宙の先、最先端部はビッグバンの始まった先端で、138億年前の世界である。
今回観測された少銀河は129億年前の光を観測した事になる。

つまり遠くを観測するとは、過去を見ているのと同じである。
過去へタイムスリップしたようなものだ。
ただ、SF小説のように自分の肉体はそこへは行けない。
見るだけである。

そもそも時間とは、物質が移動しなと存在しなかったのかもしれない。
ビッグバンの前、物資が誕生した時は、点があるだけ。
その点が動いて、初めて時間という概念が生まれるのでは無いだろうか。
どこから、どこまで、どれくらいのかけて、と考えると、初めて時間と言う概念出てくる。
そうなると、一気に速度なども考えられてくる。

そのようにして時間が生まれたのであれば、物質が移動すると、必ず時間が発生する。
つまり、瞬間移動や、タイムスリップは出来ないことになる。

物質(肉体)は場所や時間を飛び越えられなくても、遠くを見ることは出来る。
つまり、遠くを見るとで、昔むかしの遠い遠い知らない世界は見ることが出来るのである。

しかし、これでは、なんとなく寂しい。
SF小説みたいに、過去へ行ったり、自分の未来を見たりしたい。
人は欲張りで、何でも夢見たいものである。(私だけかも知れないが)

そこで、私の頭の中は、その逆の世界を妄想する。
遠くを見ると、過去が見れる。
ならば、うんと遠くの世界から視線を少しづつ近くに戻すと時間が戻ってくる。
更に視線を戻し続けつと、現在に至り、更に近くが見えると、それが未来ではないか?
実に明快である。

だが、更に近くとは、広大な宇宙から視線を戻し続けたのだから、小さな小さなミクロの世界なのか。
いくら視線を近づけると言っても、それは違うような気がする。

今、直線上の時間軸で時間を戻してきた。現代を通過し、未来を見るためには別の時間軸が存在するのかも知れない。
時間も、空間のように座標軸が存在するのかも。

同級生でも同じ思い出がある出来事でも、一人ひとり微妙に記憶が違う。
つまり、過去は同じ出来事でも人の数だけある。
歴史なんてものは、自分が知らない過去のことを誰かに植え付けられただけかも知れない。

ちょっと怖い感じがする。
でも、この考えを未来に当てはめると、どの様は未来でも、人それぞれ、同じ出来事でもその人の受け取り方次第と言う事になる。

自分次第である。
ちょっと元気が出てきた。

又、私の悪い癖で、こんな妄想をしながらコロナで外出もできない時間を潰している。
後先短い年寄だが、それでも未来のことを考えたりはする。

考えることは面白い