arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

妄想(過去・現在・未来)

遥か彼方、遠い遠い宇宙の赤ちゃん銀河が回転している様子を、国立天文台東京大学などの研究チームが観測したそうだ。

まさにロマンである。ましてその方法は、宇宙に浮かぶ重力レンズを使って観測しそうだ。
アインシュタインの重力は光を曲げる、もっと重力が大きいとブラックホールとなると言うSF小説の様な理論。
りんごが落ちるのは、当たり前、光も落ちる世界が宇宙にあるのだ。

この観測された赤ちゃん銀河は、宇宙誕生後、わずか9億年後の銀河だそうだ。
9億年と言えば、ものすごく長い時間のようだが、宇宙が誕生したのは138億年まえ。
9億年なんて、ちょいの間である。

そんなニュースに、私の頭が又妄想を始める。

宇宙誕生は、物質が誕生して直後にビッグバンにより猛烈な勢いで拡散していったのが、始まりだと言われている。
つまり初めは点だったのが、空間的な広がりになったのだ。
そして現在、宇宙と呼ばれるこの空間のなかの天の川銀河、その中の太陽系。
太陽系の第三惑星が地球。
その中に私達が生活している。

私達は宇宙から見ると小さな小さな、細菌やウイルスよりも更に小さな存在なのだ。
その小さな小さな私達が、宇宙全体のここと知るのは不可能に近い。
それでも、少しでも知ろうとしている。

遠い遠い宇宙の先、最先端部はビッグバンの始まった先端で、138億年前の世界である。
今回観測された少銀河は129億年前の光を観測した事になる。

つまり遠くを観測するとは、過去を見ているのと同じである。
過去へタイムスリップしたようなものだ。
ただ、SF小説のように自分の肉体はそこへは行けない。
見るだけである。

そもそも時間とは、物質が移動しなと存在しなかったのかもしれない。
ビッグバンの前、物資が誕生した時は、点があるだけ。
その点が動いて、初めて時間という概念が生まれるのでは無いだろうか。
どこから、どこまで、どれくらいのかけて、と考えると、初めて時間と言う概念出てくる。
そうなると、一気に速度なども考えられてくる。

そのようにして時間が生まれたのであれば、物質が移動すると、必ず時間が発生する。
つまり、瞬間移動や、タイムスリップは出来ないことになる。

物質(肉体)は場所や時間を飛び越えられなくても、遠くを見ることは出来る。
つまり、遠くを見るとで、昔むかしの遠い遠い知らない世界は見ることが出来るのである。

しかし、これでは、なんとなく寂しい。
SF小説みたいに、過去へ行ったり、自分の未来を見たりしたい。
人は欲張りで、何でも夢見たいものである。(私だけかも知れないが)

そこで、私の頭の中は、その逆の世界を妄想する。
遠くを見ると、過去が見れる。
ならば、うんと遠くの世界から視線を少しづつ近くに戻すと時間が戻ってくる。
更に視線を戻し続けつと、現在に至り、更に近くが見えると、それが未来ではないか?
実に明快である。

だが、更に近くとは、広大な宇宙から視線を戻し続けたのだから、小さな小さなミクロの世界なのか。
いくら視線を近づけると言っても、それは違うような気がする。

今、直線上の時間軸で時間を戻してきた。現代を通過し、未来を見るためには別の時間軸が存在するのかも知れない。
時間も、空間のように座標軸が存在するのかも。

同級生でも同じ思い出がある出来事でも、一人ひとり微妙に記憶が違う。
つまり、過去は同じ出来事でも人の数だけある。
歴史なんてものは、自分が知らない過去のことを誰かに植え付けられただけかも知れない。

ちょっと怖い感じがする。
でも、この考えを未来に当てはめると、どの様は未来でも、人それぞれ、同じ出来事でもその人の受け取り方次第と言う事になる。

自分次第である。
ちょっと元気が出てきた。

又、私の悪い癖で、こんな妄想をしながらコロナで外出もできない時間を潰している。
後先短い年寄だが、それでも未来のことを考えたりはする。

考えることは面白い