arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

生きてるぞ~

「生きてるよ」
入院して数日ブログ書いてなかったので、数少ない読者の方に『死んだんじゃ』と誤解を与えないように、まずは生存連絡です。
11日に入院して、翌日肝細胞癌カテーテルによる治療を行いました。
治療内容は、前回と同様ですが、再度説明します。
X線で透視しながら太ももの付け根の動脈(大腿動脈)から肝腫瘍を栄養する血管にカテーテル(管)を挿入し、薬剤と塞栓物質を注入する治療です。
癌は、注入された抗がん剤と、栄養補給のための血管を塞がれて飢え死にです。
ま、簡単に説明するとこんな事かな?
今回は2か所の肝細胞癌を上記の方法で、叩きました。肝臓内のあらゆる所に癌が発生するので、見つけたら叩く、モグラ叩きです。
叩き遅れないようにしないと大変な事になります。
今回は、この2か所の癌、さらにラジオ波で焼く治療も来週行います。
念には念をですね、完璧に叩かれ焼かれる癌細胞。ご冥福を祈ります。
実は、昨日孝子が面会に来た後に、ブログ書こうとしたのですが、寒気がして発熱、ブログ書くのが遅れました。
孝子の毒気にやられたのかも。それは無いと思いますが、肝臓の中で血管塞いでいるところが有るのだから、予想された治療後の反応だと思います。
前回は、何の治療後の副作用もなく、『俺は不死身だ』なんて思っていました。
なめてかかっていた罰ですね。
丁度お盆時、誰かがあの世から誘いに来たのかと思いました。発熱と言っても38度一寸、大げさなのが私。

気になるのは、まだ未経験の来週のラジオ波治療、ネットで調べると、肝臓の癌細胞に電極を突き刺して癌を焼くみたい。『突き刺す。痛そう』恐怖です。
そんな事を、想像していた昨日の午前中、私の主治医が病室に来た。
「来週の早い時期にエコーの検査をします」と主治医。CTは聞いてたけどエコー聞いてないぞ。
「エコーでどのルートで癌に電極を刺すか調べます」と付け加えた。『刺す』今想像してたのに聞きたくない単語だ。直ぐに直接聞く覚悟も出来ていない。
「ラジオ波の治療初めてだけど時間かかります?」
「昨日みたいに長くはかからないよ。初めてだから分からないだろうけど、1時間位かな」
「2か所のうち1か所が電極刺しにくい位置に有るから、場合によっては、別日に再度実施するかも」と付け加えた。何度も刺されたら死んじゃうよ。
「それって痛そうですね」勇気を出して聞いてみた。
「刺すんだからね」と主治医は一言。
私の主治医は、女性である。他人事のように簡単に言う。やっぱり女は怖い。
孝子だけでは無いのだ。

いよいよ入院

入院が14時予定であったので、午前中はその準備であった。
必要な物の大半はレンタルしようと思っていたので、大した準備もない。只、入院予定期間が2週間と聞いていたので、仕事で使っている社有車のバッテリーが上がらないように、病院に行く前にエンジンをかけておきたかった。
自宅の駐車場は一台分しかないので、仕事用の社有車は、会社が契約した近くの駐車場に止めてある。
近くと言っても、歩くと10分強かかる。何時もはちょうど良いウォーキングになるのだが、昨日からの猛暑が今日も続いている。
「朝のうちに会社の車、エンジンかけに行くよ」と私が言うと、孝子が
「車で行きない、暑いから」と言う。自家用車で言ってもよいが、社有車のエンジン、少し長めにアイドリングしておきたい。その間、自家用車の方は何処に止めておこうか。
「そんなこと言っても、車止めとく場所無いよ」と言うと、
ナフコで、刺身でも買って来てよ」と孝子。孝子の作戦にハマったみたい、社有車の駐車場のすぐ近くにスーパーが有る。そのスーパーがナフコである。そこで買い物するならスーパーの駐車場に堂々と駐車しておける。
孝子は、これ幸いとばかり、私に買い物を頼んだのだ。しかも、刺身なら昼の準備も手抜きできる。さすが知恵者だ、ただ者ではない。
私も、暑い中歩かずに済むのだから、一石二鳥にも三鳥にもなる。喜んで良いはずなのだが、何となく孝子にハメられたみたいで、素直に喜べない。

そんなこんなで、昼は土鍋で炊き立てのご飯に、刺身を添えて我が家流刺身定食であった。
昼食後、小休止して、病院へ。
入院手続きも馴れたもの、さっさと済ませて病棟のナースステーションへ。
一番安いタイプの個室を頼んでいたのだが、空きが有ったのか心配だった。案内された個室は、希望通りのトイレが付いただけの個室だった。
前回はバス・トイレ付きの個室だったのだが、治療の関係で入院期間の半分ぐらいしか入浴許可が出なかった。ケチな私は、『損した』と深く深く後悔した。
今回は大成功。案内した看護師に、それとなく聞くと、コロナの影響で入院する人の個室希望も多いが、それ以上にコロナを恐れて病院に来ない人が多く、暇してるとの事。
お給料が減らないか心配していた。
採血や、血圧測定など入院初日の恒例行事が終わり、明日のカテーテルを使った治療準備の為、私はシャワー室へ入った。
シャワーが主目的ではない、陰毛を少し剃るのだ。
足の付け根の鼠蹊部から、動脈にカテーテルを挿入し肝臓の癌細胞まで、送り込んで必要な治療をする。その為に鼠蹊部の毛を剃るのだ。
昔は看護師さんが剃ってくれていたが、最近は自分で出来る人は自分でが原則のようだ。
一寸寂しいような、ホットしたような複雑な心境である。
もう若くはないから心配ないが、看護師さんい剃ってもらって変な条件反射が無いか心配する必要もない。
でも、一人で黙々と陰毛を剃るのはちょっとだけ寂しい。
男心は複雑だ。幾つになっても!!

明日から入院

「おはよう、トイレ入る」と孝子に声をかける。
何時ものように朝食が終わり、トイレに入ろうとして、隣の孝子の部屋を覗いた。熟睡中だと思っていた孝子が、スマホを見ている。朝起きるとトイレに入るのが日課の孝子、私が入ってから、
「早く出てよ、もれる」と言われても困るので、先手を打って声をかけた。
「入るよ」と言って、ベットからトイレへ駆け込んだ。
孝子がトイレから出ると、入れ替わりに私が入る。
臭い仲である。
何時ものように長めのトイレが終わり出てくると、孝子は洗面所にいた。
ベランダを見ると、今朝赤く色ずいていたトマトが見受けられない。
「トマト収穫した」
「したよ、今年はそろそろ終わりね」と孝子
「元とれた」
「トントンかな、土やプランターも入れると赤字ね。来年はもっと上手くやらないと」とやる気満々の孝子。
来年もやるのか、ベランダが狭くなって困るなぁ~なんて考えている私。
明日から肝細胞がんの治療で入院というのに、来年の事を考えている。暢気なものである。
孝子は内心心配しているのだろうが、外には出さない。
そう思っているのは、私だけかもしれない。女は強いのだ。
私も、歯磨き・洗顔・そしてお顔のお手入れ、が終わって洗面所から出てくると、孝子は自分の部屋で着替え中。この歳になると、着替え中の裸同然の姿を見られても何とも思わない。
時の流れとは、怖いものである。
私は、数年前から、ニベアの『アクティブエイジクリーム』で顔のお手入れを忘れない。病院とお友達である、若い看護師さんともお友達になりたいものだ。
このニベアのクリームは、男性用では一番高い2000円近くする。ケチな私にしては、大きな投資である。
その回収がまだ出来ていない。まだまだ死ねないのだ。
着替え中の孝子が
「今年、蚊いないね」
「そう言えば、いないね、一応電子蚊取りはつけてるけど」
「異常気象なのかな」
「蚊もコロナで死んだんじゃない」
「おまはん、アホか」
我が家は平和だ。
明日から入院と言う気配すらない、そろそろ入院準備の持っていくものを纏めないと。
今年はコロナで病院も基本的に面会禁止、着替えなど少し多めに持って行かないといけない。
ブログ書いてる場合か。
ま、そう言っても、準備なんて直ぐできる。愚図な私であるが、やる時はやるのだ。
「昼何にする、冷麺、ごはん」と孝子が聞いてきた。
「どっちでも」
「どっちでも、それが一番困る、どっちが良い」
「スパゲティ。昨日美味しそうなのテレビでやってた」
「最初から、そう言えばいいのよ、暫く家の飯食べられなくなるよ」
あ、そうだった、やっぱり孝子考えてくれてるんだ。
感謝!!

長崎原爆の日

私の故郷は、長崎市である。とは言っても近年の市町村合併で、長崎市となった。
長崎県は島の多い県で、私が育ったのも周囲4キロしかない小さな島である。南東の方向に、長崎港の入口近くにある造船所の赤く塗られたクレーンを微かに望むことが出来る。
そんな環境で育った私、8月9日は忘れてはならない日である。子供の頃は、毎年夏休みの登校日であった。
校庭で、長崎原爆のお話があり、原爆投下の11時2分には、黙とうをした。
子供の頃は、全国の小中学校が登校日で、同じように黙とうしていると思い込んでいた。
今と違って、交通機関もあまり発達してなく、まして島である。県外の人との接触も無い。
よく覚えていないが、長崎原爆の日が登校日は長崎県内だけであったと知ったのは、かなり経ってからだった。
直接の体験者では無いが、長崎出身者として今日は原爆について私なりの思いを書きたいと思う。

私のおふくろは、この長崎の島に生まれた時から住んでいた。勿論私が生まれる前の話であるので、真意は分からないが、75年前の8月9日、島から南東方向に『きのこ雲』を見たそうである。
当時は造船所のクレーンなんて無くても、長崎に大変な事が起きたと分かったそうだ。
私の親戚にも原爆の被爆者が居た。おふくろをはじめ多くの原爆を知る人が他界してしまった今、原爆の話を聞く機会も少なくなった。

私自身も、学校の登校日に先生方から話を聞くぐらいで、特別な感情は無かった。
ある程度の事は知っている、そんな思いが有ったのか、四国出身の孝子が、私の実家に帰省した際
原爆資料館見たい」と言い出し、私もまだ見た事がないのに、気づいた。
地元では、テレビで報道されたりして、代表的な展示物は知っていた。
しかし、現物はまだ見た事がない。
「行くか」と2つ返事で同意

テレビで見るのと、実際にそこに立って見るのでは大違い。
昭和20年8月9日の11時02分の世界にタイムスリップしたかのようだ。
当時の人々の生活、そこに有った生活用品、着ていた服、持っていたもの、あの瞬間に一瞬にして失われたのだ。

展示物の、割れずに一瞬にして熱線で溶けた瓶、ほとんどが炭化した服、服が燃え尽きずに残っているのは、着ていた人の体液や血液が付着したからに違いない。
あの一瞬で多くの人が亡くなったり、今なお残る後遺症を負って苦しんでいる人もいる。
登校日に先生から聞いた話では、原爆の熱線で壁に影だけを残し、その人が生きていた痕跡すら残さずに天に召された人もいたそうだ。
私の時代でさえ忘れかけている懐メロの歌詞には、台所で昼の支度をしていたはずだろう奥さんが、あの一瞬、消え失せて首にかけていたロザリオだけが下に落ちている、ここで一生を終えた証だ。
そんな内容の歌詞が有った。
残酷を通り越して、言葉にもならない。

長崎に育ったものとして
長崎が全世界最後の被爆地であり、2度と核兵器が使われることが無いように、強く強く訴えたい。
どの国の、どの民族も、一人は一人、かけがえの無い命である。

核抑止力なんて言っているが、所詮は大昔の戦艦外交と同じ、脅しの原理に基づいている。
そろそろ悲劇の繰り返しに幕を下ろし、真剣に子供たちの未来の事を考えていくべきだ。

書きながら、当時の映像が脳裏に浮かび目頭があつくなる。
この悲劇を2度と繰り返してはならない。

夏の夜の夢

今日は、今週唯一の私の休日である。ちょっと仕事を詰め込み過ぎていたので、ちょうど良い息抜きになる。

仕事を詰め込んでいても、夜は自由時間、数日前から星空を見上げて楽しんでいる。
7時台や8時台に、国際宇宙ステーションがここ数日上空を通過する。ほんの数分の事だが、壮大な宇宙のロマンを楽しんでいる。
数日前は満月、その写真撮影をしたりもした。気づかないで居たのだが、今朝テレビをみていて、その写真の中に思わぬ物が写っている可能性がある事が判明。早速ネットで調べてみた。大正解、間違いなくそれだ。その詳細は、昨日の夜の出来事の後で!

昨夜は、国際宇宙ステーションが19時45分30秒から19時51分の間、観察できる事になっていた。今日こそはスマホで撮影してみようと作戦を練っていたが、なかなか良い方法が浮かばずにいた。
私に感化されて孝子も国際宇宙ステーションを見るのを楽しんでいる。
今までは自宅の北側か南側のベランダに出て見ていたのだが、昨日の通過コースは、北西から南東、自宅の上空を通過するので、観察点を北側から南側ベランダに数分間の間に移動しないといけない。スマホ撮影の為の三脚固定などを考えると、ちょっと問題がある。

「公園に行くと良く見えるかも」と独り言のように私が呟いたのは、6時過ぎの夕食時であった。

夕食後、晩酌でほろ酔い加減の孝子は、少し休息してから、台所の後片付けを始めた。もう時間も余りないし、孝子は今日も自宅から国際宇宙ステーションを見る気なんだ。
さて、私だけ公園に行くか、と迷っていると、台所の水の音が止み、
「行くよ、何しとん」と孝子の声、行く気満々だ。

外に出て先に歩き出した孝子、方向が逆だ。
「反対だよ」
桃花台中央公園に行くんだろう、こっちの方が近いよ」
孝子の言う通り、公園に行くには一番近い、2,3分歩けば公園入口だ。でも私が行きたいのは公園の展望台。昼間は遥か西に伊吹山が見える。
そこに行くには別ルートが近いのにと思ったが、何せ気弱な私。孝子には逆らえない。
「ほうか」と答えて、ついて行く。

公園には直ぐ着いたが、ちょっと北側の見通しが悪い。やっぱり展望台だ。結局、遠回りになった。
「運動になって、ちょうど良いよ」と自分のミスに気付いても強がりを言う孝子。

到着すると、あまり時間がない。私は持参したコンパスで国際宇宙ステーションの見え始め位置を調べて、スマホを固定、スマホカメラのライトペインティング機能で国際宇宙ステーションの飛行航跡をとらえる事にした。

「この方向から見えだすはずだよ」と指差して孝子に教えた。その方向に、予定時間ぴったりに見えた。
「あんた、こういう事は賢いね」
「他は賢くないという言い方だな」私の言葉を無視して星空を見上げていた孝子。
「あ、ぶつかる」
上空を通過中の国際宇宙ステーションが、ほかの星と交差していた。
孝子には平面的感覚は有っても、空間的感覚は乏しいみたいだ。
でも、それが利点でもある。『国際宇宙ステーションと星がぶつかる』なんて感性は、なかなかのモノである。
宇宙のロマンをほかの人の倍楽しんでいる。
満月の前を何かが飛べば、それが箒に跨った魔女に見えるのかも。

スマホの撮影もそれなりに国際宇宙ステーションの飛行航跡が撮れていた。満足して帰宅。
前日、ラインの同窓会グループに国際宇宙ステーションが肉眼で見える事を伝えておいたので、今日の撮影した写真を早速送った。
同窓生の数人は曇りで見えなかったとラインの書き込みが有ったが、歳をとっても私みたいに宇宙にロマンを抱く人も少ないのかも。その中で同窓生の女の子(もうお婆ちゃんだが、記憶の中はあの頃のままである)
「周りの星が流れてるね」と同窓会ラインに書き込んできた。
「シャッターが開いている間に地球も回転するから‥」と返事を書き込む。
それから、地球の回転が止まったら明日の朝にならない、明日の朝にならなければ、歳をとらないのか?などとバカげた話題で、童心に帰って少しだけ盛り上がった。

忘れるところだった、文頭に書いた、スマホの写真に写っていたものについてだが、今朝早く起きて、何時ものようにテレビをつけると、ニュースの目次テロップに『木星土星の接近』と書いてある。
心当たりがある、満月の夜撮影した写真、早速ネットで検索。
やっぱりそうであった。普段は満月をスマホに望遠鏡をつけて撮影するのだが、その日は、満月の右側に見える星が気になり、望遠撮影する前に、スマホのシャッターを切った。
何と、その気になった星が、木星土星だったのだ。
明るく光っている星が木星、その左側の木星より少し暗いのが土星であった。ラッキー!
国際宇宙ステーションの飛行航跡写真と一緒にこのラッキー写真も添付。

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満月と土星木星(左)    国際宇宙ステーションの飛行航跡(右)




8月最初の日曜日

8月に入り最初の日曜日である。
「サッシのガラスを掃除しないと」と朝から孝子が張り切っている。そう言えば、梅雨の雨続きでガラスに汚れが目立つ。古新聞とバケツを用意して、
「暑くならないうちに始めないと」と孝子
「張り切ってるね」と私
「当たり前よ、梅雨明けは主婦は掃除で忙しいのよ」と孝子が言うが、手伝えとは言わない。一寸気味が悪い。
私の方も8月11日から入院で、その前にやらないといけない仕事予定で、明日からはビッシリである。
暫くはゆっくり休む事が出来ない、貴重な日曜日である。
それが分かっているから、私に手伝えと言わないのかも、なかなか良いところ有るじゃん、孝子。

お言葉に甘えて私はゆっくりとテレビ。昨年から孝子は古新聞をバケツの水で、雑巾のように洗ってガラス窓掃除をするようになった。
一番汚れ落ちが良いと、テレビで放送されたみたい。直ぐに感化される孝子らしい。
ベランダ側の二部屋と、北側の自分の部屋のサッシガラスの掃除を、暑くならないうちに終えることが出来た孝子は、少しテレビを見て、Twitterをチェック。

私は邪魔しないように、自室に撤退、私の部屋の窓は、共有部分の通路に面しているので、外側にアルミの柵が取り付けられて、ガラスはワイヤー入りの強化ガラスである。
ガラス拭きもやりにくいし、元々室内が見えないように加工されているので、掃除しても変わり映えしない。
孝子は、それが分かっているのでガラス拭きをしなかった。
決して手を抜いたわけではない。孝子の名誉のために断っておかないと、後が怖い。

暫くすると昼食の準備を始めた孝子。主婦は本当に忙しいな。
昼は、牛丼であった。私は胃が半分なので、山盛りの丼を見て
「ちょっと多すぎるよ、少し減らして」と注文
「ご飯は少ないよ、玉ねぎが多いだけ」とあっさりと断られた。
「愛情てんこ盛りよ」と一言。
牛丼には一味をかけるか、七味をかけるか、どうでも良い事を言い合いながら昼食タイムが過ぎていった。

昼食の後片づけが終わった後、孝子は少し眠そうである。
ベランダのミニトマトに目をやると、朝は色付いていなかったトマトが、3個赤くなっている。
「今朝は赤くなかったのに」と私が言うと、孝子が眠そうな目でトマトを見て
「あんたに見つめられて照れてんのよ、朝早かったので眠い」と孝子、言い終わるとソファーの上で横になり、爆睡。

頑張りすぎて、電池切れか。
それにしても、あのトマト雌か?雄が私に見られて赤くなるはず無い。なんて馬鹿げた事を考えている私。夏の昼下がりの時間はゆっくりと過ぎてゆく。

地球人

『岩にしみいるセミの声』と誰かが言ったみたいだが、しみいる岩も少なくなった現在は、私の頭の芯にセミの声がしみいって、うるさくてたまらない。
ベランダには夏の日差しで、プランターの草花の影が強いコントラストをつけている。

昼前の天気予報で、関東・東海の梅雨明けが報じられた。
8月に入って、やっと梅雨明けである。雨続きの天候で、早く梅雨が明ければよいのにと思っていたが、明けたら明けたで、暑さにうんざりする夏の到来に、「あつ~」と思わず口に出る。
人間とは勝手なものである。

ちょっと前までは、暑さ何て何のその、夏山へGoで車で出かけて、登山口で車中泊、翌朝早く登山開始。
何て時期も有ったが、体がついていかない。ついていったにしても、今年は新型コロナで、遊び何てもってのほか。
「やだねぇ、嫌なご時世になったもんだ」などと、ちょっと古風な言葉でぼやきたくなる。

新型コロナのせいで、生活に困窮している人も多いのに、遊びに行けないとぼやくなんて、不謹慎極まりない。
政府の無策ぶりを批判しても、そもそも能力不足の政権に期待する方がおかしいのかも知れない。
そんな政権を選択してきた私たちにも責任はあるのだ。大臣の不祥事が有ると、『総理の任命責任は』とつい追及するが、その総理を間接的ではあるが、選択したのは国民一人一人なのだ。

無能な政権に批判を浴びせるのもイジメになる。そもそも運動が全く苦手な私みたいな人間に「100メートル、10秒で走れ」なんて言われても困る。それと同じ事、能力がないのに、四方八方から言われても、イジメ以外の何物でもない。
自分で出来る事はやる。その精神で一人ひとりが対応しないとね。
こんな事が無いように、選挙を棄権したりせず、よく考えて投票に行きましょう!
なんて突然まじめな事を言い出すのも、歳をとった証かも?
「歳をとったんじゃなくて、積み重ねて来たんだぞ」と胸を張って言えるには、ほど遠い私である。

新型コロナのような、世界的な災害(災害と呼んで良いのかどうか不明だが)に、各国が最善と思われる対策を講じているが、アメリカ人・韓国人・中国人・日本人・・・・・・等がバラバラに動いても、なかなか解決しない。
一つの国でウイルスを撲滅しても、いずれ外から又ウイルスが入ってきたりする。

近い将来、この様な全世界的な問題にたいして、各国の対応と同時に○○人を捨て、地球人(人類)としての対策をたて、脅威に立ち向かう時代が来ると良いと、私個人は思っている。

各国の指導者とも、人の命が一番大事だと思っている。ただ、それぞれの事情により、貧困により命が奪われる脅威が大きかったり、今回のような伝染病による脅威が大きかったりするから、対策がバラバラになる。共通して言えるのは、人の命が一番だと誰しもが思っていることだ。

今回の事で平時から、人々の格差を無くす事、それと並行して世界の国々の格差も小さくしていく努力の重要性を思わずにはいられない。
人類(地球人)として生き残って行く為に。

どんなに能力があっても、一人は一人、出来る事はたかが知れている。一人が二人、二人が三人、まとまってこそ、道が見えてくるものだ。

外見だけのグローバル化ではなく、一人一人の心の中もグローバル化される日が来ることを祈らずにはいられない。