arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

お久しぶりね

暫くブログご無沙汰していた。
何となく、やる気が無くて少しだけ憂鬱な日々が続いていた。

コロナで何処にも行けない、仕事以外ほとんど外にもでない。
「最近、何となく憂鬱、ひょっとして鬱病」とポツリと呟くと、
オマハンそんなたまか」とあっさりと妻に言われた。
それもそうか、と妙に納得。
久しぶりにブログでも書くか。
となったわけである。
全く単純そのものである。

さて、なに書こうか?
コロナ禍で、不平不満、言いたいことはたくさん有るが、愚痴をこぼしても始まらない。
私は私の道を行くのみである。
そこで、今日は一寸だけ真面目に将来のエネルギ問題でも書いてみよう。
とは言っても、数多の問題がある。
まずは、太陽光発電についてでも書こうか。

私は、仕事で太陽光発電設備も幾つか見ている。
現在のように主たる電源が別にあり、その手助け的に太陽光発電を利用しているのなら、現状のままで大きな問題はない。
しかし、将来は再生可能エネルギの主力として太陽光発電が主体的に稼働するのであれば、今のままではいけない。

現状の太陽光発電所は、電力会社の配電線に接続されていて、電力会社側のトラブルで停電が発生すると、太陽光発電所も停止する。
これは安全の為の仕組みである。
何らかの原因が有って電力会社の発電所からの送電を止めたのだから、太陽光発電所からの電気が止まらなければ、電力会社が送電を停止した意味が無い。
(例えば、感電事故を即座に検知して電気を止めたのに、太陽光発電所からの電気が止まらなければ、安全は確保出来ない)

これは、主電源が現状の電力会社の発電所なので、運用も電力会社主体で考えられているのだ。

でも、将来的には、一寸不都合なことになる。
大きな災害なので孤立した地域に太陽光発電所があっても、電力会社の送電線や配電線に被害が有って、電力会社の電気の復旧が直ぐには出来ないときは、その地域の太陽光発電所は何の役にもたたない。
地域全体をカバーする電気は作れなくても重要施設だけでも電気を使えるようにしたいと思うのは、皆同じである。

太陽光発電所が、火力や水力、原子力発電所などの一般的な発電所と違うところは、作った電気が【直流】である事である。
世の中の電気は、世界中【交流】が使用されている。

したがって、太陽光発電所には、パワーコンディショナと言う機械が付属していて、この機会で、直流を交流に変換している。
交流とは、➕ ➖ の電気が波のように時間と共に繰り返す電気である。
直流を交流に変換するとき、電力会社側の交流と、波の大きさ、➕ ➖の山と谷のタイミングもぴったりと一致する交流を作らないと、電力会社の電線に繋いで使用出来ない。

パワーコンディショナが、この作業をしているのだが、良く考えると、電力会社の電気が無いと、交流の波の大きさや、波の山谷の判断が出来ない。
と言うことは、電力会社の電線に繋いで使用できる交流の電気が作れない事になる。

電力会社から電気が来てない電線は、電力会社の交流と混ざる事はないので、一般に使用されている交流の電気さえ有れば緊急使用は不可能では無いのだが、現在の太陽光発電所は、電力会社の交流と全く同じ交流しか作れない。
電力会社の交流情報が入力されないと、電気を送り出せないのだ。

一般の発電所では、他の発電所と連携せずに単独運転できる。
太陽光発電所には現状はこの単独運転の仕組みが原則的に無いのだ。

地球温暖化対策で、太陽光発電所が増えると、連携線が切れても単特運転できる機能は絶対に必要になると思っている。

根本的には、直流の電気使用に付いても検討していく必要があると思う。
日本では、交流の種類が西日本と東日本で違ってる。
以前は、電化製品も西日本用、東日本用別れていたが、最近はあまり聞かなくなった、それは電化製品事態が、交流の電気を一旦直流に変換して使用するものが増えて、交流の種類に依存しなくなったからだ。

と言うことは、直流の電気を直接需要家におくって使用する社会ができれば、製品も交流から直流に変換しなくてすむ。
ま、そう簡単な問題ではないが、それもありかな、と考える。
直流は直流の良さもあるのだ。
げんに、本州と北海道の連係送電は直流で行われている。

妄想 コロナ対策

数日前、小池都知事が、コロナ関係の記者会見で記者の
東京オリンピックで、人出の増加につながった影のでは?」
と言う質問に
「オリンピックが始まって、競技をお家のテレビで観戦する人が多くなり、反対にステェイホームに貢献しています。良く調べて下さい。」
と開き直っていた。
私に言わせると、それは一方向から見方で、スポーツ好きで、オリンピック好きの人でも、すべての競技に関心を持っている人はそう多くはないと思う。
テレビ番組が、オリンピック関連に占拠され、楽しみにしていた番組をみられなくなった人も居るかもしれない。
皆がみな『ニッポンがんばれ』の思い一丸となっていた時代とは少し違って来ている。
特に若い人は、テレビがつまらなくなって、外出しているかもしれない。
これも、少数かもしれないが、そんな考え方もあるのだ。

そんなことを考えていると、私得意の妄想の世界に入り込んでしまった。
その世界では、私が総理大臣になっている。
小池都知事の開き直り発言に
都知事、それは良い発言ですね、参考にさせていただきます」
と一言。
私の頭の中で、コロナ対策が出来上がりつつあった。
都知事の発言の通り、テレビの力は甚大だ。上手く利用すれば、人々の外出を相当抑えられる。
膨大なコロナ対策費を考えると、テレビ放映をまだ出来ない新作映画等を相応の金額を保証して、テレビで流す。
人気歌手のテレビライブを実施する等、専門家の意見も聞いて、特に若い人をテレビに釘付けにする番組を企画し放映すれば街の人では激減するはず、関連業界にそれなりの補償金支払っても、それで、コロナ対策がうまく行けば安いもの、何て妄想の世界の総理大臣は、素人考えにふけっている。

現実の世界でも、コロナ対策のどれが正解か、今は誰にもわからない。
ただベストは分からなくても、少しでもベターな策を模索している。
正解は、何年か先のコロナが去った未来にしかわからない。

人々は、どうすべきか判断できない時、引っ張ってくれる指導者を待っている。
例えベストでなくても、確信を持って人々を引っ張っていける指導者。
カリスマ性がある指導者。

現実世界の総理大臣は、そんな指導者に成りうるだろうか?

妄想の世界の総理大臣の年寄りの戯言。
ご勘弁あれ!!

蝉採り

少しだけブログをご無沙汰していた。サボっていると言う感覚はあまり無かったのだが、なぜか時間が速く進んだようだ。
梅雨が明け、私の一回目のコロナワクチン接種も終わり、気がつけば、東京オリンピックまで始まっている。
時の流れ方は、一人ひとり違うと思うが、私のここ一ヶ月は、特に速く感じた。
充実して、あっという間に過ぎた感じでもない。
歳のせいで時間の感覚も無くなって来たのか、我ながらこわい。
ま、怠け者の言い訳にすぎないと、たかをくくっておこう。
「たかをくくる」と、何となく書いたが、変換候補が幾つか出てきて、「たか」とはどの漢字を使うのか?解らなくて、ひらがなのままにした。
やっぱりボケの始まりか?何て思いながら、後で調べてみようと思ている。
解らないことが有ると、気になって直ぐに調べていた頃とは、ちょっと変わって来ている自分を感じる。

前置きが 長くなる癖は、以前のままだ。良い習慣は、直ぐに忘れて、悪い癖だけ死ぬまで続くのかも知れない。
さて、本題に入ろう。
今朝、何時ものように朝のウォーキング中に、蝉採りをしている親子を見かけた。
お父さんと小学校の低学年らしい男の子が、高さが5、6メートルの木の下にいた。
お父さんが指差す木上の方に、男の子が虫採りアミを伸ばしている。
朝の喧しい蝉の声が木の上からする、その蝉を狙っているのだろう。
今の虫採りアミは、あんなに長く出来るんだ、と思いながら、邪魔をしないように、少し離れた所を通り抜けた。
あんなに高いところでは、あのアミで取るのは難しそうだな、と思いつつ振り返ることも無く歩き続けたので、結果は不明である。

歩きながら自称蝉採り名人だった子供の頃を思い出した。
蝶はアミで取っても、蝉はアミは使わなかった。
釣竿ぐらいの竹を切ってきて、その竹の先にトリモチを付けて蝉取りしていた。
ほぼ百発百中である、竹の先を蝉に近づけると、ペタリ。一度くっ付けると、蝉がどんなに暴れようと、逃れようがない。
今思うと、蝉にとっては卑怯な方法だったかも知れないが、私が子供の頃は、それが主流であった。第一蝉から「卑怯者」と言われたことは一度もない。
蝉の声と言うが、蝉の口からは音が出ている訳では無い。したがって「卑怯者」何て言えなくて当然、果たして口が有るのだろうか?

昔は、近所の雑貨屋でトリモチを売っていた。当時10円位で買うことが出来た。
B5用紙位の大きさだったと思うが、二つ折りになっていて、その間にトリモチと呼んでいた粘着剤が挟んで有った。
使用する時は、二つ折りになった用紙のようなものを開いて、その間に竹の先を挟み込んで引き抜くと、竹の先に粘着剤が付いて、その竹を蝉採りに使っていた。
そのトリモチを挟み込んだ物は、 中に挟んだトリモチが無くなるまで、何回も使用出来た。
昔の鮮魚屋さんには、ハエ取りの螺旋状に伸びる細長い物が数本吊り下げられていた。
昔は、ハエも蝉もくっ付けて取るのが、普通だったのかもしれない。
今も、何処かにトリモチ売ってるところが有るのだろうか?
前回の東京オリンピックの時代以前の話しだから、今はまず存在しないだろう。
ハエ取りの方は、ひょっとしたら今も有るかも?

遠い昔の思い出である。

楽天で遊ぶ

以前書いたと思うが、 私のスマホは、楽天モバイルを使用している 。

1年間無料ということで、11月まで無料で使用できる。

先月まで、 何不自由なく使用してきた。


自宅は、楽天エリアなのだが、パートナー回線のauに接続されることもある。

楽天回線は、使い放題でも一定額で使用できるが、パートナー回線は、通信量が5ギガを越えると、速度制限がかかる。

勿論、自宅でのみで使用するのではない、当然、パートナー回線の使用もそれなりに発生する。

楽天回線に接続されているかどうかは、

楽天のアプリ『my楽天』で直ぐに分かる。

ところが、先日、スマホのOSを更新し、それ以降『my楽天』で、楽天回線かパートナー回線かの表示がでなくなった。OSのバージョンが原因のようだ。

仕方なく、スマホに回線状況チェッカーアプリを入れた。

そのアプリで回線状況が常時監視出来る。

活躍の場は、直ぐに来た。


今まで、パートナー回線の通信量が5ギガを越えることはなかった。

ところが、今月は、月なかばにして、パートナー回線の通信量が5ギガを越えてしまった。


f:id:arakabu-kamenote:20210620141250j:plain


最近、自宅でも楽天回線にほとんど接続されなくなって、不信に思っていた。


f:id:arakabu-kamenote:20210620141355j:plain


楽天は、全国的に楽天エリア拡大中で、繋がりやすくなって当然なのだが、我が家では、その逆である。


原因は、よくウォーキングするお陰で、直ぐに分かった。

近くに、以前はなかったアンテナが建っている。楽天がアンテナを新設したのなら、その近くでは、楽天回線繋がるはずだが、逆であった。このアンテナau


原因はこれだ、パートナーのau回線が強くなり、楽天が負けたのだ。

au回線の「勝った」と言うつぶやきが聞こえそうである。

他のキャリアには勝っても、楽天に勝ってどうする!パートナーではないか?

パートナーと思ってるのは楽天だけ、auからは、只の商売仇。楽天の片想いか。

どこの世界も厳しいねぇ。


パートナー回線が5ギガを越える直前、楽天からチャージの案内が来た。1ギガ550円。

とんでもない、安くて使い放題だから楽天にしている。

ケチな私の許容外である。

速度制限がかかっても、それなりに使えると何かで読んだ。今月は、それで乗り越えよう。


待てよ、スマホの中で楽天回線に繋ぐかパートナー回線に繋ぐか、どうやって判断しているのだろう。

素人の私には良く分からないが、電波の強度が強い方を選ぶのか?

もしも、通信速度の速い遅いも回線選択要素に入っているなら、auが速度制限されると、楽天の勝目が出てくる。


楽天回線に繋がると、パートナー回線の速度制限は関係ない。

おもしろい、試してみる価値ありだ。


何日間様子を見た結果、自宅ではほとんど楽天回線に繋がらなくなっていたが、パートナー回線が5ギガを越えてからは、楽天回線が繋がりやすくなった。


f:id:arakabu-kamenote:20210620141538j:plain


お陰で、何不自由なくスマホを使用している。

楽天の「勝った」が聞こえそうである。

逆転勝ちだ。


将来、楽天モバイルもプラチナバンドを使用出来るようになればもっと良いのだが、少し時間が必要かもね。


楽天エリアなのにパートナー回線に繋がってしまうと言う人は多いと思う。

そんな人は、パートナー回線が5ギガを越えても、チャージを焦る必要はないと思う。

少し様子を見てみよう。

年寄りの戯言

昔は、年寄は「昔は良かった」と言うのが口癖だな、なんて思っていた。
今、そういう私が、年寄と見られてしまう年令になった。
しかし、私自身、昔はよかったとは思わない。
現状にどんなに不満があろうが、昔よりはマシな生活をしている。

理想を追えばきりがない、人それぞれに理想がある。
世の中、誰の理想に近づけていくか、そう簡単ではない。
民主主義社会では、多数の理想が世の中全体の理想と勘違いされている。
自分の目指すものと差が出る場合も当然有り得る。
社会をまとめて行くには、それが当然の事かもしれない。
独裁国家であれば、独裁者が集団を力で支配して、自分の理想を世の中全体の理想にして、それに向かって突っ走る。

少なくとも、日本の場合、人々は昔より少しはマシな生活をしている人が多いと思う。
短期的には、色んな変化があり、浮き沈みのある人生だが、その波が段々小さくなり目的地(人生の終着駅)に近づいていく。

昔は良かったとは言わないが、昔は良いことしていたと思える事もある。
私が、まだ小学校にも行っていなかった頃、親父に
「酒買ってこい」と言われ、ビンを渡された事がある。
今で言うと『初めてのおつかい』である。
酒屋は、商店街の入口付近に有った。酒だったのか、焼酎だったのか、よく記憶いてないのだが、酒屋のおじさんが、樽の下の方に付いている木の小さ棒を、回しながら少し緩めると、透明な液体が少しづつ出てくる。
それをマスで受け止めて、マスから溢れる手前で、木の棒を閉めて液体を止める。
その後、私が差し出したビンに移しかえる。
何合買ったのか、それとも親父に持たされた金額の分だけ、酒屋のおじさんが入れてくれたのか、覚えていない。
今では無くなった、量り売りである。
持たされたビンは、一升瓶ほど大きくなかった。5合位しか入らないビンだったように思う。
しかも、酒専用のビンではなかったと思う。
透明なビンで、そのビンの8分目位入れてもらい、家に帰った。
親父は、
「速すぎる、どこの水入れてきた」と言って
ビンを引ったくるように取って、一飲み。
「酒じゃないか」と言うと、『よくやった』の一言もなく、そのまま飲み始めた。

今のテレビの『初めてのおつかい』のように、親が涙目で迎えてくれるなんて事は、我が家にはなかった。
親父は、アル中で、ちゃぶ台返しは日常茶飯事であった。

今思うと、よい思い出の少ない子供の頃で有った。
それを思うと、今は幸せである。

でも、昔のこの『量り売り』の方式は、持続可能な社会を目指している現在、見習うべきだと思う。
豆腐も、豆腐売りのラッパの音が聞こえると、ボールや鍋などの入物を持って外に出ていた。
古き良き時代の、朝の光景で有った。
現在では、容器持参で買い物何て考えられない。

容器入りの物を買ってきて、それを移し変えて、容器は返却、返却された容器は洗浄して再利用する。
各メーカーも容器を統一するなど、工夫すれば今でも十分実行可能なように思う。

色々と新しい方法を考えるのも良いが、昔の良い風習を見習い、時代に合ったものにしていくのも、おもしろい。

昔は、良いこともしていたのだ。捨てたもんじゃない。

やっぱりアホや

先日、運転免許証更新の講習をうけて、新しい免許証になった。
ゴールドではないが、1回の軽度の違反だったので、青色でも有効期間は5年である。
次回の更新時は、70歳以上の高齢者講習が必要になると思う。
最近はコロナ関係のニュースばかりだが、コロナ前は、高齢者の自動車事故のニュースが、話題になることも多かった。
それに関連して、高齢者の免許更新時の制度変更等の話題も多く、70歳以上に義務付けられた高齢者講習が、申込みが多く、期日内の受講が出来ない等の問題なども報道されていた。
最近はコロナ報道ばかりで、高齢者講習の現状がどうなっているのか、知りようがない。
以前は、他人事であまり関心がなかったが、自分の新しく更新された免許証を見て、次回の更新時からは高齢者講習が必要になると知ると、突然、他人事から自分事になった。
全く身勝手なものだ。

ふと気づいた。次回更新時の高齢者講習の心配をする前に、その時に、この世にいるかどうかが問題だ。
持病持ちの私は、それが一番問題なのだ。
高齢者講習の心配など二の次である。
健康管理が一番なのだが、なにせ自覚症状が全く無いので、のほほんと生きている。

健康管理と言えば、先日コロナワクチンの接種券が来た。
早速、予約しようとネットを開いたが小牧市の集団接種会場や、市内の複数の接種可能な医療機関も空きがなかった。
ネットの新規受付の更新が、多分週初めだろうと思い、7日の月曜日に再度申し込みに挑戦することにした。
丁度その日は、愛知県の集団接種会場の一つである県営名古屋空港会場も小牧市対象の接種日の6月16日と6月18日分の申込み開始日に当たる。
自宅から30分ぐらいで行けるので、小牧市内が取れない場合、そちらに申し込んでも良いと思っていた。

ところが、私より先に接種券が届いていた孝子は、ワクチン接種をしない。私のワクチン接種は、他人事と思って、だまていれば良いのだが、一言口をはさむ
「空港は、モデルナよ」
「それがどうかした、空港会場は4000人だから取りやすい」と、私が答えると
ファイザーのほうが先に承認されたのよ、モデルナはついこの前」と孝子
「どっちでも大して変わらないよ」と言い返すと
「ワクチン打ってコロリなんて笑えないよ」と孝子は縁起でもない事を言う。
「俺は、誰かさんがワクチン打たずに、コロナでコロリと逝ったら、墓の前で大笑いしてやるよ」
「私が打たなくても、ある程度ワクチン接種者増えれば、コロナはなくなるよ」と、ごもっともなことを孝子が言う。
「そうあせて痛い思いすること無いよ」と更に付け加えた。
「副反応の何の、四の五の言って結局注射怖いだけか」と私が言い返す。
孝子は昔から注射嫌いなのである。
自分は、痛い目にあわず、みんなの接種でコロナの収束を待つ、他力本願の考えに徹している。

そんなやり取りがあったので、私も孝子の意見を一寸だけ受け付けて、空港会場は辞めにした。
その結果、結局空きが少なく、1回目が7月18日、2回目は8月8日と遅い接種予約しか取れなかった。
政府が言っている7月いっぱいの接種には間に合わないのだ。
ま、良いか。

ところで、前回書いた昔の地球が見えない話、今になってとんでもない勘違いに気づいた。何光年とと言うのは、距離の単位、勘違い勘違い、宇宙の膨張が光の速度より速ければ別だが、昔発した光は、瞬時に通過していっている。
遠い遠い銀河の光も、遠い遠い昔、発した光が今地球に届いているが、その光は一瞬で通過して行く、最初の時間のズレは生じるが、その後は地球も、その銀河も同期して時間が進んでいく。

昔の地球なんて見えるはず無いのだ。
やっぱり私はアホだ。
それに今気づいたのも、大アホ!

この間仕事で大垣市に言って、コンビニで弁当を買って、ペイペイで20%還元されて、大喜び。
ペイペイは月ごとに還元率が高い自治体がある、今月は大垣市だったようだ。

500円の弁当を買って100円還元、大感激である。
こんな単純な事で、感激しているくらいが丁度いい。
私の脳みそはその程度である。


f:id:arakabu-kamenote:20210610223857j:plain

分からん

私が生まれた長崎県では、良く分からないことを、
「よう、わからん」と言う。
私の、妄想癖は、良う分からん事を、調べもせずに、考え続ける事を楽しんでいるのかも知れない。
情報化時代の今日、ネットで検索すると簡単に解決することが多い。
でもね、簡単に答えが分かると、
「つまんない」と思わない?

私の好きな妄想は、大半が宇宙に関すること。
自分に全く関係のない事を、考える。夢みるように・・・
そして、馬鹿なことを考えてるなぁ〜と時々心のなかで笑ったりする。
『馬鹿の考え・・・』である。

前回、遠い遠い宇宙を見ることは、遠い遠い過去を見ること、と書いた。
今朝は、遠くを見ることは、過去を見ることならば、地球が誕生した40数億年前の地球が、なぜ40数億光年先の宇宙に見えないのか?
と全く馬鹿げた考えが浮かんで、妄想が始まった。

宇宙は膨張している。地球も誕生した時の位置から、外側へ移動しているはずである。
それならば、現在の地球から宇宙の誕生した方向の、どこかに過去の地球が見えるはずである。
でも、過去の地球が見えたと言う報告は何処にも存在しない。
という事は、宇宙の膨張とは、宇宙空間の膨張で、その空間に存在する地球を含む星々は、誕生した位置に固定しているのか?
勿論、太陽系の惑星である地球が、太陽の周りを回ったり、天の川銀河にある太陽系自体が、天の川銀河の渦の中を動いたりしているだろうが、その銀河の位置自体は定位置に収まっているのかも?

そう考えると、過去の地球が見えないのは当たり前のような気がする。
宇宙空間の中にあるものは、宇宙空間と一体になって動く、と言う私の考え自体が間違いだったのかも知れない。

地球に居ると、大気中のものは大気の流れに乗って動く、水中のものは水の流れにのる。
しかし、宇宙空間とは、そのエリアを構成する分子や原子すらない。
なんにも無いのだ。いくら膨張していようが、その何にも無いエリアが広がっていっているだけで、その中に存在する地球を含む星々は宇宙空間の膨張には無縁なのかも知れない。

宇宙誕生直後は、高温のため陽子や電子は纏まることが事ができないプラズマの世界で、光さえ直進できなかった。
その後、温度が下がり、陽子が電子を拘束し、原子の誕生すると、光が直進できるようになり、宇宙が晴れわたる。
その時初めて、宇宙の背景の暗闇が誕生。
したがって、宇宙の空間とは何にも無いのだ。

その誕生した原子たちが、長い年月をかけて色んな種類になり、原子と原子が結びついて分子となり、その分子が結びついて星間ガスや星になって、現在に至ったのだろう。

ま、専門家では無いので、私の知識からの想像で、多少の間違いはご勘弁願いた。

待てよ、ここでふと気づく。
宇宙空間は、膨張していても星々はその膨張の影響を受けず、誕生した位置に存在すると考えれば、過去の地球が見えないのは分かるが、大きな疑問が湧く。
地球から見た星々や銀河は、殆どが遠ざかっているのだ。
だからこそドップラー効果赤方偏移を利用して、遠い遠い宇宙の始まった地点まで、何光年であるか計算ができる。

やっぱり地球は宇宙の始まった地点から外側へ動いていることになる。
その動きは、広い広い宇宙空間の何処を起点とするかで変わる。
地球を起点に考えれば、地球は固定で宇宙の誕生した場所や、他の全ての星々が動いていることになる。

だから地球上の知的生命体である人間は、地球上からは過去の地球を見ることが出来ないのか。

「よう、わからん」
頭がパンクしそうである。
ま、バカはバカなりに考えて、ボケ防止の頭の体操にはなったかな。

明日は、久しぶりの仕事日である。6月は、運転免許証の更新講習や、コロナワクチンの摂取で忙しくなりそうだ。
自慢ではないが、運転免許証はゴールドではないので、1時間の講習を受けないといけない。
それが6月7日。

ワクチの摂取は、接種券がまだ来てないので、予約してないが、接種券は6月2日までに来る。
摂取の予約や、仕事の調整でちょっと大変になるかも知れない。
その合間に、この続きの妄想に耽ったりもする。

忙しくなっても、忙しいと思える健康な自分が居ることが、最高の幸せなのかも知れない。