arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

年寄りの戯言

昔は、年寄は「昔は良かった」と言うのが口癖だな、なんて思っていた。
今、そういう私が、年寄と見られてしまう年令になった。
しかし、私自身、昔はよかったとは思わない。
現状にどんなに不満があろうが、昔よりはマシな生活をしている。

理想を追えばきりがない、人それぞれに理想がある。
世の中、誰の理想に近づけていくか、そう簡単ではない。
民主主義社会では、多数の理想が世の中全体の理想と勘違いされている。
自分の目指すものと差が出る場合も当然有り得る。
社会をまとめて行くには、それが当然の事かもしれない。
独裁国家であれば、独裁者が集団を力で支配して、自分の理想を世の中全体の理想にして、それに向かって突っ走る。

少なくとも、日本の場合、人々は昔より少しはマシな生活をしている人が多いと思う。
短期的には、色んな変化があり、浮き沈みのある人生だが、その波が段々小さくなり目的地(人生の終着駅)に近づいていく。

昔は良かったとは言わないが、昔は良いことしていたと思える事もある。
私が、まだ小学校にも行っていなかった頃、親父に
「酒買ってこい」と言われ、ビンを渡された事がある。
今で言うと『初めてのおつかい』である。
酒屋は、商店街の入口付近に有った。酒だったのか、焼酎だったのか、よく記憶いてないのだが、酒屋のおじさんが、樽の下の方に付いている木の小さ棒を、回しながら少し緩めると、透明な液体が少しづつ出てくる。
それをマスで受け止めて、マスから溢れる手前で、木の棒を閉めて液体を止める。
その後、私が差し出したビンに移しかえる。
何合買ったのか、それとも親父に持たされた金額の分だけ、酒屋のおじさんが入れてくれたのか、覚えていない。
今では無くなった、量り売りである。
持たされたビンは、一升瓶ほど大きくなかった。5合位しか入らないビンだったように思う。
しかも、酒専用のビンではなかったと思う。
透明なビンで、そのビンの8分目位入れてもらい、家に帰った。
親父は、
「速すぎる、どこの水入れてきた」と言って
ビンを引ったくるように取って、一飲み。
「酒じゃないか」と言うと、『よくやった』の一言もなく、そのまま飲み始めた。

今のテレビの『初めてのおつかい』のように、親が涙目で迎えてくれるなんて事は、我が家にはなかった。
親父は、アル中で、ちゃぶ台返しは日常茶飯事であった。

今思うと、よい思い出の少ない子供の頃で有った。
それを思うと、今は幸せである。

でも、昔のこの『量り売り』の方式は、持続可能な社会を目指している現在、見習うべきだと思う。
豆腐も、豆腐売りのラッパの音が聞こえると、ボールや鍋などの入物を持って外に出ていた。
古き良き時代の、朝の光景で有った。
現在では、容器持参で買い物何て考えられない。

容器入りの物を買ってきて、それを移し変えて、容器は返却、返却された容器は洗浄して再利用する。
各メーカーも容器を統一するなど、工夫すれば今でも十分実行可能なように思う。

色々と新しい方法を考えるのも良いが、昔の良い風習を見習い、時代に合ったものにしていくのも、おもしろい。

昔は、良いこともしていたのだ。捨てたもんじゃない。