arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

蝉採り

少しだけブログをご無沙汰していた。サボっていると言う感覚はあまり無かったのだが、なぜか時間が速く進んだようだ。
梅雨が明け、私の一回目のコロナワクチン接種も終わり、気がつけば、東京オリンピックまで始まっている。
時の流れ方は、一人ひとり違うと思うが、私のここ一ヶ月は、特に速く感じた。
充実して、あっという間に過ぎた感じでもない。
歳のせいで時間の感覚も無くなって来たのか、我ながらこわい。
ま、怠け者の言い訳にすぎないと、たかをくくっておこう。
「たかをくくる」と、何となく書いたが、変換候補が幾つか出てきて、「たか」とはどの漢字を使うのか?解らなくて、ひらがなのままにした。
やっぱりボケの始まりか?何て思いながら、後で調べてみようと思ている。
解らないことが有ると、気になって直ぐに調べていた頃とは、ちょっと変わって来ている自分を感じる。

前置きが 長くなる癖は、以前のままだ。良い習慣は、直ぐに忘れて、悪い癖だけ死ぬまで続くのかも知れない。
さて、本題に入ろう。
今朝、何時ものように朝のウォーキング中に、蝉採りをしている親子を見かけた。
お父さんと小学校の低学年らしい男の子が、高さが5、6メートルの木の下にいた。
お父さんが指差す木上の方に、男の子が虫採りアミを伸ばしている。
朝の喧しい蝉の声が木の上からする、その蝉を狙っているのだろう。
今の虫採りアミは、あんなに長く出来るんだ、と思いながら、邪魔をしないように、少し離れた所を通り抜けた。
あんなに高いところでは、あのアミで取るのは難しそうだな、と思いつつ振り返ることも無く歩き続けたので、結果は不明である。

歩きながら自称蝉採り名人だった子供の頃を思い出した。
蝶はアミで取っても、蝉はアミは使わなかった。
釣竿ぐらいの竹を切ってきて、その竹の先にトリモチを付けて蝉取りしていた。
ほぼ百発百中である、竹の先を蝉に近づけると、ペタリ。一度くっ付けると、蝉がどんなに暴れようと、逃れようがない。
今思うと、蝉にとっては卑怯な方法だったかも知れないが、私が子供の頃は、それが主流であった。第一蝉から「卑怯者」と言われたことは一度もない。
蝉の声と言うが、蝉の口からは音が出ている訳では無い。したがって「卑怯者」何て言えなくて当然、果たして口が有るのだろうか?

昔は、近所の雑貨屋でトリモチを売っていた。当時10円位で買うことが出来た。
B5用紙位の大きさだったと思うが、二つ折りになっていて、その間にトリモチと呼んでいた粘着剤が挟んで有った。
使用する時は、二つ折りになった用紙のようなものを開いて、その間に竹の先を挟み込んで引き抜くと、竹の先に粘着剤が付いて、その竹を蝉採りに使っていた。
そのトリモチを挟み込んだ物は、 中に挟んだトリモチが無くなるまで、何回も使用出来た。
昔の鮮魚屋さんには、ハエ取りの螺旋状に伸びる細長い物が数本吊り下げられていた。
昔は、ハエも蝉もくっ付けて取るのが、普通だったのかもしれない。
今も、何処かにトリモチ売ってるところが有るのだろうか?
前回の東京オリンピックの時代以前の話しだから、今はまず存在しないだろう。
ハエ取りの方は、ひょっとしたら今も有るかも?

遠い昔の思い出である。