arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

異常なし

今日は通院日であった。
朝4時過ぎから眠れず、又々、ベッドの中妄想に耽って、6時半から活動開始。
昨夜遅くまでかかって、孝子が焼いてくれた特別に美味しいパンで、朝食を済ませて、朝ドラのあと、先週の検査結果を聞きに病院へ向かった。

内科の待合スペースで、幾つもある4人がけの長椅子の一つの右端に腰掛けて、緊張気味に、大型モニターに表示される消化器内科の中待合へ案内する、案内番号表示に時々目をやる。
私が座った椅子の左側には、一人分のスペースを開けて、30代と思しき夫婦が座っていた。
ここの病院に通い始めた頃、この様な夫婦や親子が多いのに驚いた。
私が育った長崎では、夫婦や親子で病院に来る人は、介護や付添が必要な人が大半であった。

ところが、こちらでは、まるで遊びにでも出かけるように、家族が付いてきている。
茶店文化が発達した愛知県、病院も喫茶店感覚なのかも知れない。
今は、コロナ禍、通院する本人以外は病院に来るのは避けたほうが良いと思うのだが、あまり変化は無い。
それでも、愛知県人は、マスク着用やソーシャルディスタンスは、きちんと守る。
待合スペースの半数以上の人が、マスクを二枚重ねで着用していた。

私の診察予約時間は9時半。何時も時間通りに中待合に入った事は無い。
ところが、今日は予約時間より少し早く中待合に案内された。

何か、嫌な予感。
話が長くなるのかな?
かんて考えて、中待合の椅子に座ると、数分で診察室に呼ばれた。

「お変わりありませんか」
とお決まりの質問。
「いつも通りです」
と私もお決まりの返答を返す。
「先日の検査結果ですが、結論から言うと、とりあえず問題ありません」
ほっと一安心である。
その後、CT画像の一通りの説明。
血液検査値の説明がなされた。
先生が「とりあえず」と付け加えたのは、血液検査の癌の腫瘍マーカの一つが上昇傾向にある為であった。

次の検査日が8月中旬で、その結果を見て、胃カメラ検査や大腸内視鏡検査が必要かどうか判断する。
異カメラは良いが、大腸内視鏡検査はご勘弁願いたい。
検査前日からの検査食や下剤の服用、検査日の前準備の不快さは最悪である。
検査自体は、この年になると恥ずかしくも何ともない。
イボ痔を見られるのが、一寸だけねぇ〜

診察の最後に処方箋を書いてもらい、病院のすぐ横にある行きつけ薬局で、薬を受け取り、降りしきる雨の中、帰路についた。

帰宅して、心配しながら待っていた孝子に検査結果を報告。
昼食は、お祝いの手こね寿司であった。

梅雨の晴れ間

青い空の所々に白い雲が浮かんでいる。
中部地方は、うんと早く梅雨入りし、ぐずついた天気が続いていた。
久々の梅雨の晴れ間、しかも日曜日、普段なら家に居ることはまずない。
しかし、愛知県も緊急事態宣言発令で、不要不急な外出は自粛するように要請出ている。
このコロナ禍、天気は晴れても心はなかなか晴れない。

今朝は、早く起きたのだが、なんとなく気乗りせず、6時半からのラジオ体操にも行かなかった。
何時もだと、桃花台中央公園でラジオ体操をして、そのままウォーキングコースを歩く。
歩きながら、スマホNHKラジオアプリでラジオ英会話を聞いている。
前週の聞き逃しサービスの月曜日から木曜日までを聞き終わるのに、丁度一時間。
朝のウォーキングも丁度それくらいの時間で、8時前に帰宅。

汗だくの下着を着替えて、私は朝食、孝子は洗濯を始める。
最近は孝子が朝食用のパンを手作りして、用意してある事も多い。
そんな時は、パンのスライスから朝食作りを始める。
孝子は、朝食抜きが多いので、食べる人が作る決まりである。
パン用の包丁はあるが、均一の厚さに切るのは至難の技である。

私は、一枚のパンに色んなものを乗っけて、二つ折りにして食べる。
厚すぎると、二つ折りにしづらいし、薄いと裂けてしまう。
たかがパン、されどパンとでも言うべきか。
そんな、悪戦苦闘して朝食を作り、あっという間に食べてしまう。

孝子の方は洗濯であるが、洗濯は洗濯機がやってくれる。
孝子が、洗濯物を洗濯機に放り込んで、スタートスイッチをオンにする。
その頃を見計らったように、8時の朝ドラの音楽が始まる。
ソファーにちょこんと座った孝子は、テレビに見入っている。
私の方はその頃やっと朝食のパンの準備ができて、テーブルで食事中である。

私は、食事が終わると、食器を洗い片付ける。
孝子は洗濯が終わるまで暫く時間があるので、朝ドラのあと「あさイチ」をみたり、民放の朝のワイドショーを見たりして、洗濯機の終了音が鳴るのを待つ。

最近のワイドショーの話題の大本が新型コロナである。
政府の対応にコメンテーターが、いろんなコメントを言っているが、我が家の評論家孝子も、それに加わって、言いたい放題を言っている。
私にも同意を求めてきたりする。いい加減に返事をしていると、
「真剣に考えんかい」と、
とんだトバッチリが来る。

そんな訳で、朝食後は出来るだけ孝子とソーシャルディスタンスを確保している。
勿論、この場合のソーシャルディスタンスは、コロナのディスタンスより大きい。出来れば、自室に退避するのがベスト。
しかし、自室の退避するだけの度胸は私にはない。
あさイチ」の内容が面白くて、孝子が民放にチャンネルを回さないことをひたすら願うばかりである。

ここで、ふと気づく、『チャンネルを回す』・・・
私も昭和の人間だなぁ〜
ガチャガチャとチャンネルを回し、チャンネル争いという言葉があった子供の頃を思い出す。

話が脇道にそれた。
孝子は、最近ツイッターにハマっている。私が真剣に相手をしない時は、ツイッター仲間と鬱憤を晴らししているようだ。
私は助かるが、孝子の精神衛生上どうなのか疑問である。

孝子は、生真面目である。
生真面目な人は、現実を真剣に見つめすぎて、不平不満が多くなる。
損な性格だと私は時々思うことがある。

私みたいに、適当にノーテンキで、『世の中、平和。人生楽しまなくちゃ』なんてお気軽に思っているのも、あまり良くないのだろうが。
孝子に言わせると
「あんたみたいなのばかりだから、日本が劣化した」と、
どやされそうである。

でもね、色々言ったけど、孝子はコロナ禍の時間を有効に使って、パン作りなど料理の腕を上げ、私に美味しい料理を食べさせてくれる最高の伴侶である。
(この締めの数行が、万一の時のリスク回避に重要な意味をもつ)

あるがままに

最近ブログをサボり気味なので、何か書かないといけないと思っている。
しかし 、なかなか良いネタが思い浮かばない。
そこで、昔からなかなか捨てることが出来ずにいる、本やノートを開いてみた。
20代後半から30代にかけて、私は、電気の勉強に没頭していた。
その頃使っていた本やノートは、どうしても捨てることができずに埃をかぶっている。
今では、そのノートや本を見ても、さっぱり分からない、それだけ私も年を取ってしまったのだと思う。
分からなくて何の役にもたたない本やノートを、大切にとってあるのが、なんとなく滑稽である。
微分積分微分方程式など、難しい計算を昔は難なく解いていた。
ま、そんな時代も有ったのだ。
昔の思い出に浸っていて、ふと我に帰る。

昔の本やノートを調べてまで、ブログを書こうとしている自分が滑稽になった。
この年になって、自分は、こんなこともできる、こんなことも知っていると、ひけらかしてどうなる。
昔の本やノートを見て、やっと思い出した知識に過ぎない。
自分の、ボケ防止にはなっても、 ブログに書くべきものではない。
今の自分、今の実力、あるがままの自分を、背伸びせずに書くのが良い。

もうそれほど頑張らなくて良い年になった。
高みを目指して頑張っていた若い頃、そのおかげで、他人から見ると低いかも知れないが、それなりの高みには登った。
今は、その頃には戻れない自分を、素直に受け入れて、氷の山が少しづつ溶けていくように、裾野を広げていく時期かも知れない。
俗に言う、トンガリが取れて丸くなる時が来たのだ。

氷の山が溶けて、やがて回りに広がった水は大地に戻る。
その大地に新しい生命が芽生える。
そう言う人生の終わり方も、なかなかオツである。

今朝は、3ヶ月に一回実施している血液検査と造影剤CT検査の為、病院へ行った。
採血が混み合うので、早めに出かけ7時30分には病院についたのだが、私の採血順番は31番であった。
それでも早く行ったおかげで、早めに検査が終わり帰宅。こうしてブログを書いている。
今日は、夕方から仕事が入っていて、帰宅するのは夜中12時近くになると思われる。
昼食後は、少し昼寝でもして夜に備えようと思っている。
もう若く無い、無理は効かないのだ。

こんなあるがままの毎日を記録するのもブログなのかも知れない。
来週、今日の検査結果が判る。
それまでは落ち着かない日々である。まな板の上の鯉も、がんの再発宣告は勘弁願いた。

妄想(内と外)

今朝は6時前に起きた。
いつもの通りと言いたいところだが 、最近はちょっとサボり気味で、朝寝することが多かった。
当然、ラジオ体操もサボっていたのだが、今朝は、久しぶりにラジオ体操に行った。
土曜日ということもあって、参加する人が随分と増えている。
ラジオ体操が終わると、 いつものウォーキングコースを1時間ほどかけて歩いた。
少し前までは、スロージョギングをしていたのだが、ここ数日気温が上がって、スロージョギングをすると大汗をかく、そこで最近は、少し早足でウォーキングをするようにしている。

自宅に帰ると、すでに時刻は8時前である。
いつものように、パンにスライスした玉ねぎとチーズを挟んで、その上に線キャベツを乗せて二つ折りにして食べる。
当然 、手を離すとパンが開いてしまうので、食べ始めたら、片手にコーヒーカップを持ち、食べ終わるまでいっきである。
胃が小さい私は、早食いをすると気分が悪くなるのだが、注意しててもつい早食いになってしまう。
案の定、今朝もしばらくすると気分が悪くなり、ベッドに寝込んでしまった。

少し寝ると、気分は回復してくるのだが 、それでも1時間近くかかる。
その間、ベッドの中でいつもの妄想を始める。
前回、宇宙の始まりについて書いたと思うが、今朝は、その続きみたいなものを妄想し、時間を潰した。
宇宙の始まりはビッグバンであると前回書いたのだが、その光景を頭の中で想像してみる。
空間の中にある、ひとつの点が、急激に膨張していく光景が、頭の中に浮かぶ。
そして、138億年の時間が過ぎ、現在に至る。
従って、遠い遠い宇宙の果てを見ると、そこが宇宙が始まった、遠い遠い昔の世界であると前回書いた。

待てよ、ここでちょっと考えてみると、最初に頭の中に浮かんだ光景の、急激に膨張していく、最初にあった一つの点。その内側に、私達の住む地球が誕生した。その為、視点がその点の内部に入ってしまった。
最初に頭の中で想像した、ビッグバン以前の、何もない空間は何だったんだろうか。
宇宙の果てと考えている世界は、ビッグバンと呼ばれる膨張が始まった点には違いないが、あくまでも最初の一点の内面にすぎない。
その外側には、最初に頭の中で考えた、何もない空間が広がっているはずである 、それは何であろうか?
宇宙の外側、つまり、外宇宙とでも呼ぶべきものなのかも知れない。

これも以前書いたが、ミクロの世界に話を変える。
私たちの体の中にいる、小さな小さな微生物やウィルスに知性があれば、彼らが考える宇宙は、私たちの体の中である。
彼らからすれば、私たちの体の体表面の内側を宇宙の果てと考える。 その外側に別の世界があることを知ることは至難のわざである。
同じことが、私たち人間が見ている宇宙にも、言えるのかもしれない。

そんなつまらないことを考えらながら、時間を潰し、体調も回復してきた。
食い過ぎて気分が悪くなったのに、昼が近づいた今、昼食は何かな〜なんて、又食べることを考えている。

つくづく食いしん坊である。
胃がん肝細胞癌、死にかけている人間とは、自分でも思えない。
癌なんて、悪友の一人にすぎない。
うまく付き合う事だ。
コロナと共存するより、はるかに簡単なのかも知れない。

妄想(過去・現在・未来)

遥か彼方、遠い遠い宇宙の赤ちゃん銀河が回転している様子を、国立天文台東京大学などの研究チームが観測したそうだ。

まさにロマンである。ましてその方法は、宇宙に浮かぶ重力レンズを使って観測しそうだ。
アインシュタインの重力は光を曲げる、もっと重力が大きいとブラックホールとなると言うSF小説の様な理論。
りんごが落ちるのは、当たり前、光も落ちる世界が宇宙にあるのだ。

この観測された赤ちゃん銀河は、宇宙誕生後、わずか9億年後の銀河だそうだ。
9億年と言えば、ものすごく長い時間のようだが、宇宙が誕生したのは138億年まえ。
9億年なんて、ちょいの間である。

そんなニュースに、私の頭が又妄想を始める。

宇宙誕生は、物質が誕生して直後にビッグバンにより猛烈な勢いで拡散していったのが、始まりだと言われている。
つまり初めは点だったのが、空間的な広がりになったのだ。
そして現在、宇宙と呼ばれるこの空間のなかの天の川銀河、その中の太陽系。
太陽系の第三惑星が地球。
その中に私達が生活している。

私達は宇宙から見ると小さな小さな、細菌やウイルスよりも更に小さな存在なのだ。
その小さな小さな私達が、宇宙全体のここと知るのは不可能に近い。
それでも、少しでも知ろうとしている。

遠い遠い宇宙の先、最先端部はビッグバンの始まった先端で、138億年前の世界である。
今回観測された少銀河は129億年前の光を観測した事になる。

つまり遠くを観測するとは、過去を見ているのと同じである。
過去へタイムスリップしたようなものだ。
ただ、SF小説のように自分の肉体はそこへは行けない。
見るだけである。

そもそも時間とは、物質が移動しなと存在しなかったのかもしれない。
ビッグバンの前、物資が誕生した時は、点があるだけ。
その点が動いて、初めて時間という概念が生まれるのでは無いだろうか。
どこから、どこまで、どれくらいのかけて、と考えると、初めて時間と言う概念出てくる。
そうなると、一気に速度なども考えられてくる。

そのようにして時間が生まれたのであれば、物質が移動すると、必ず時間が発生する。
つまり、瞬間移動や、タイムスリップは出来ないことになる。

物質(肉体)は場所や時間を飛び越えられなくても、遠くを見ることは出来る。
つまり、遠くを見るとで、昔むかしの遠い遠い知らない世界は見ることが出来るのである。

しかし、これでは、なんとなく寂しい。
SF小説みたいに、過去へ行ったり、自分の未来を見たりしたい。
人は欲張りで、何でも夢見たいものである。(私だけかも知れないが)

そこで、私の頭の中は、その逆の世界を妄想する。
遠くを見ると、過去が見れる。
ならば、うんと遠くの世界から視線を少しづつ近くに戻すと時間が戻ってくる。
更に視線を戻し続けつと、現在に至り、更に近くが見えると、それが未来ではないか?
実に明快である。

だが、更に近くとは、広大な宇宙から視線を戻し続けたのだから、小さな小さなミクロの世界なのか。
いくら視線を近づけると言っても、それは違うような気がする。

今、直線上の時間軸で時間を戻してきた。現代を通過し、未来を見るためには別の時間軸が存在するのかも知れない。
時間も、空間のように座標軸が存在するのかも。

同級生でも同じ思い出がある出来事でも、一人ひとり微妙に記憶が違う。
つまり、過去は同じ出来事でも人の数だけある。
歴史なんてものは、自分が知らない過去のことを誰かに植え付けられただけかも知れない。

ちょっと怖い感じがする。
でも、この考えを未来に当てはめると、どの様は未来でも、人それぞれ、同じ出来事でもその人の受け取り方次第と言う事になる。

自分次第である。
ちょっと元気が出てきた。

又、私の悪い癖で、こんな妄想をしながらコロナで外出もできない時間を潰している。
後先短い年寄だが、それでも未来のことを考えたりはする。

考えることは面白い

苺傷害未遂事件

昔むかし、樹木希林郷ひろみが『林檎殺人事件』という歌をヒットさせた。

「あんたも古いねぇ」と言われそうだが?

そうなんです、1952年生まれの70が目の前に迫っているオヤジなんです。

忘れかけた歌が私の脳裏に!

そんな事件が我が家で発生!


プロローグ

4月25日の夜、夕食のテーブルに豚肉と玉葱の炒め物をメインに何時もと同じ様な、夕食が並んでいた。

孝子には、ワインが並び、私は土鍋で炊きたてのご飯が添えられている。

孝子は、ダイエットでご飯抜き。病気持ちの私は、アルコールは厳禁。

食卓に並ぶ皿の違いはアルコールとご飯の違いだけ。

ところが、昨夜は私だけ苺がデザート用の薄ピンクのガラスの小鉢に盛ってあった。


幕開け

「いただきます」と互いに声をかけて、夕食開始である。

「最近塩分摂りすぎかなと思い、久々に血圧測ってみたよ」とご飯を口に入れながら私が言った。

「どうだった」と孝子

「うん、180近くあったから、何度か測り直したよ」

「なんで、ちょっと前は死体みたいに血圧下がっていたじゃん」


回想

確かに、そうである。

以前は血圧がちょっと高めで、10年ぐらい前から、毎朝降圧剤を服用している。

ところが、胃がん肝細胞癌と癌のオンパレードになってからは、手術の影響なのか、嘘みたいに血圧が下がり、100をきることも多かった。

そうなってからは、毎朝の血圧測定もサボリぎみで、最近はすっかり血圧測定を忘れていた。

ところが、ここ1,2年、孝子の料理の味付けが以前より濃くなったように感じていた。

「今日の味噌汁塩辛いよ」と私が言うと

「普通だよ」と孝子

「歳をとると味付けが濃くなるとテレビで言ってたよ」

「おまはん、シバいたろか」

年上女房の孝子に歳のことを言うのは厳禁であった。

「お、こわ」とからかい気味に私は、一言

嫌悪に思えるが、我が家では普通の会話である。そんなバカ話をしながら食事をとる日も増えていた。

私が薄口になったのかもしれないと思っていたのだが、それにしても辛く感じる。

そんな訳で、久しぶりに血圧測定。

『お! 180 酒は底なし、タバコは1日2箱の50代前半の値、若返ったか』

なんて馬鹿げた心のつぶやき。

それにしても?

再測定、少し下がるが、あまり大差無しであった。

やっぱり塩分の取り過ぎかなと気付いたのが夕食の少し前であった。


夕食にて

「血圧も脈拍数も死体みたいに下がってたんだけど」と私

孝子の方は元来低血圧で、以前私は孝子を死体扱いしていた。

ところがここ数年逆転、私が死体になっていた。

『勝った』と思っていた。

「直ぐに忘れて、血圧毎日測らないからよ」と孝子

「やっぱり最近塩分多めだったんだ」

と言うと

「辛いと思ったら食べなきゃいいのよ、だいたい最近食べすぎよ」

確かにその通りである、胃がんで胃は半分しかないのに、普通に食べて、食べたあとになって気分が悪くなる日々が続いていた。

孝子からは

「懲りないやっちゃ」とからかわれている。

「酢タマネギあんたも食べな、血圧にもいいよ」

最近孝子はダイエットで酢タマネギを毎食食べている。

以前の酢キャベツは人間が食べる物では無かったのだが、その事に孝子もやっと気づき、酢タマネギに変えたのである。

私も味見させられたのだが、酢タマネギは一応口にできる味である。

最近はネットで酸っぱくない酢を購入し改善を図っているようだ。

そんなこんなで又孝子のダイエット食にお付き合いする事になりそうだ。

直ぐに食卓に酢タマネギ入ったガラス製の蓋付き瓶が置かれた。

「ところで、苺俺だけ」

「私3時に食べすぎて入らないの、愛情・愛情」

孝子の愛情は軽い・軽いと心で思ったが、決して口には出さない。

食事が終わり、デザートの苺になったが、いつもの通り食べ過ぎた。

折角の苺、全然手を付けないのも悪いと思い、一つだけ口にした。

芯の付近が一寸だけ青臭い味がした。

「一寸青臭いよ、苺の額の部分よく取らんかった。ケチだから」

「ちゃんと取ったよ、気のせい・気のせい」

「食べてみぃ」

「私も入らないよ、ここに置いとくから何時でも食べてよ」
と一言、

近くのスパーがメガドンキーに変わってからは食料品の味がイマイチかな?

苺自体もあまり甘くないのかもと思いつつ、夕食タイム終了。


事件勃発

食卓のこの苺、次の日の昼食までテーブルの上に置かれていた。

次の日の昼食後、いつまでも置きっぱなしでは悪くなると思い、
私の胃の中に片付ける事にした。

最後の一個になった頃
草の青臭さと思っていたこの味、ひょっとしてカビ。

「孝子、食べてみ」と最後の一個を孝子に渡した。

一口口にした孝子が

「これカビだよ。スグ分からんか」と

「苺ってカビるんか?ドンキーで買った?」

「農協よ」と孝子

『メガドンキー様思い込みで決めつけてごめんなさい』と心のなかでお詫びした。

「昨夜から調子が悪いのはそれでか」

昨夜からお腹の調子が何時もの食べ過ぎと少し違うなと思っていた。

ここ数日便秘気味で出るものが出ないからかと思っていたのだが、今朝やっと出た。

おかげで気分爽快になっている。

普通だったら食あたりで下痢していたのかもしれない。しつこい便秘だったので幸いしたのだ。

又、その苺を今度は数個食べてしまった。
そう思っただけで、気分が悪くなった。

慌ててトイレに駆け込む、又出た。でも下痢ではない。

便秘の解消になり、不幸中の幸いである。

「愛情・愛情で私だけに出される物には注意しないと」と私が独り言みたいに言うと、普段は大声も聞こえないことのある孝子が

「それどういう意味よ、ケリ入れたろか」

くわばら、くわばら

カビも色々、たまたま善良なカビだったのだろう。

傷害未遂で終わった。

孝子の愛情が私の便秘を治したのかもしれない。

感謝!

池島発電所

今月は、3ヶ月に一回の肝細胞癌の検査月であった。
4日に、血液検査の為の採血と、造影剤CTを行っった。その検査結果が、11日の消化器内科の診察時に告げられた。
血液検査の癌マーカーの一つ『CED』の値が上限の5.0を超えて6.0に上がっていたが、CT画像からは、前回確認された昨年9月の手術の影響と思われる肝臓の一部の変色も小さくなっていて、新たな癌の発生も確認されなかった。
今回上限を超えた癌マーカーの前回(12月)の値は3.8で、何らかの兆しである可能性もあるが、
「とりあえず様子を見ましょう」と主治医
ギリギリセーフー、という感じ。
次回の検査が5月の末、チョット不安は残るが、なるようにしかならない。
『まな板の上の鯉』である。

診察の日は、ちょうど『3.11』
10年前のこの日に、なんの前触れもなく旅立つことになった方々のことを思うと、私は幸せものだ。
昨夜はテレビで福島原発の映画があっり、それを見て、もう20年以上昔になる、池島発電所に勤めていた時の事を思い出した。

池島は、長崎県西彼杵半島の沖に浮かぶ炭鉱の島であった。
その炭鉱の微粉炭専焼の自家用発電所に勤務していた。
出力は9500KVAの小さな発電所であるが、発電に用いた蒸気の排熱で海水淡水化装置を運転していた。
淡水化装置は、多段フラッシュ方という方法で一日2650トンの真水を海水から作っていた。
この水が島民(主に炭鉱の社宅の人々)の生活用水であった。

私が炭鉱を去る直前は、池島発電所の3交代の運転班長をしていた。
炭鉱は九州電力から海底ケーブルで送られる電気と自家用発電所の電気を使用して操業していた。

池島発電所は海底ケーブルで九州電力とつながって、電気的用語で言うと並列運転していた。

発電所の運転員は5名で、2名が中操(中央操作室)担当で、残りの3名が
現場巡回にあたっていた。
全員が、全ての作業が出来るように、毎日担当箇所を交代していた。

その運転班が3班あり、交替勤務をしていた。
平常時は、淡水化装置の塩分濃度の僅かな上昇などの微細な異常に対応する位で、ほとんど自動運転であるので、監視のみの日々である。

ただ、悪天候等で、電気的トラブルがあると、5名では、手に余る事も合った。

その最たるものは、全停電である。
九州電力からの電気も止まり、発電所も停止状態になる。
主たる原因は、電力会社側の事故に池島発電所がまきこまれる為に起こる。

電力会社側も、池島発電所側も、お互いの事故が影響しないように早急に検出して、電力連携を遮断する。
その時、池島発電所は、単独運転となり、池島内の全電力を負う事になる。

そのままでは、池島発電所は、発電能力を大幅に超え、過負荷で止まってしまう。
そのため、重要でない箇所を即座に停電させて、発電量と使用量のバランスをとる。
そこまでは、だいたい対応に成功するのだが、今度は使用量が下がりすぎて、発電所の出力を急激に絞り込まなくてはいけない。

その対応に失敗して、発電機が加速しすぎてトリップしたり、加速しないように蒸気を絞りすぎて、ボイラーの蒸気圧が上がり、ボイラー側が安全装置により停止してしまい、発電所が停止。
島中が停電してしまう。

発電所も内部電源喪失状態になるので、早急に九州電力からの受電操作を試みる。
大抵は電力会社からの受電が成功し、その後、発電所を起動する操作に入る。

万が一、九州電力からの受電に失敗した場合は、ディーゼル発電機を運転し、発電所所内電源を確保して、池島発電所を起動する。
発電所の起動は、5名では荷が重いのだが、停電と同時に社宅にいた他班の運転員が、駆けつけてくる。

中央操作室では、重故障のベルや、軽故障のベルが鳴り響き、まるで映画のような状態になるが、皆冷静に対応して事故時の対応に当たっていた。

地震で、思い出されるのは、阪神淡路大震災の時だ。
あの時は、夜勤で、明け方、私には常識から考えられない異常が出た。
『周波数高』である。
簡単に言うと、発電機の回転が速くなったのである。

池島発電所だけの単独運転では有り得ることだが、九州電力と連携運転中は考えられない。
九州電力佐世保制御所に直通回線で問い合わせる。
「九州管内全域周波数高で調査中です」
との返事、受話器を置くと、直ぐに再度電話が
「本州側の異常ので、給電指令所で、本州との連携線を切るかどうか検討中」
とのことであった。

阪神淡路大震災のときは、神戸の大電力消費都市が、壊滅的被害を受け、発電量が使用量を上回り連携している電力会社の発電機全部が加速してしまったのである。
休息室で夜食中だった班員が、
「神戸が大変な事になっている、テレビ見て」と教えに来て、やっと状況が把握できた。

東日本大震災は、大規模発電所の停止が多かったので、逆に残った発電所は過負にになり、周波数低状態になったと思う。(私の想像だが)

池島発電所の勤務では、小説が出来るぐらいいろんな事があった。
忘れないうちに書き留めておきたいが、なかなか思うように行かない。
普通の人には、あまり面白く無い話でもある。