arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

恐怖の酢キャベツ

気持ちの良い日差しがベランダを埋め尽くしている。
台所からはキャベツを切る小気味良いまな板の音が響いている。
包丁でまな板を叩いているのは、我が愛妻孝子である。
まな板の上のキャベツは、細く細く刻まれていく。
私も刻まれない様に注意しないといけない、なんてバカなことを考えながら、その音をカウンター越しに聞いている。

今朝は、孝子が先に起きた。私が起きて部屋から出ると
「おはよう、珍しいね」
と孝子が声をかけた。私も
「おはよう」と声を返し、
「明日から仕事少し忙しいから、今日は休憩」と、珍しく孝子より遅く起きた言い訳を付け加えた。
明日から28日の日曜日まで仕事が詰まっている。
孝子が
「もう仕事辞めたら」と言うのを
「仕事辞めたらボケてしまうよ」と勝手なこと言って仕事を続けているのだから、忙しいと言って寝坊しているのも可笑しいのだが、チョット予定を詰めすぎたかな?と少し反省している。

仕事の予定は自分で勝手に決めて、客先との調整は担当の若いお姉さんがやってくれるのだが、追加の仕事を頼まれると、つい引き受けてしまう。
「急に工事が決まり、都合がつかないので、担当違いですが、工事立会お願いできないでしょうか」
なんて若いお姉さんに優しく言われると
「良いよ」と反射的に返事をしてしまう。
要は女性に弱いのである。
歳はとっても、男は男。
老化防止の秘訣は、コレなのかも知れない。

男は男、女は女、この意識がある限り頑張っていけると思う。
でも、最近は、風呂上がりに自分の部屋まで下着を取りに素っ裸で行っている。
以前は孝子の目があるのでバスタオルぐらいは巻いていた。
何時からこうなったのだろう?
孝子の方も私ほどでは無いが、似たりよったりである。
ま、年寄夫婦に成ったという事かな?

あ、話が横道にそれている。
キャベツの千切りの話に戻そう。
千切りのキャベツはタッパに入れられて冷蔵庫の中に。
私の毎朝お決まりの朝食であるパンに、チーズやトマトと一緒に挟まれて、私の胃の中に落ちていく運命である。

以前はキャベツは大半がそうなる運命であったが、最近は孝子の胃にも一部が入って行く。
孝子のダイエットの為だと思うが、キャベツを酢和えして、食べているのだ。
ただの酢和え程度であれば良いのだが、酢に浸けているような感じで、食べている孝子自身、酢に咽て咳き込んだりしている。
全く良くやるよ、である。

食事中咳き込んで
「コロナかな?」なんて言うから
「酢が効きすぎよ」とからかうと、
「健康に良いのよ、アンタも食べる?」
「断る!」
「アンタみたいに持病持ちは特に良いよ」
とくる。

私の食卓に何時この酢キャベツが乗るか、私は恐怖を感じずにはいられない。
酢キャベツなんて人間の食い物では無い。

孝子自身も基本的には野菜嫌いで、昔はキャベツであれ白菜であれ、葉野菜は全て『草』と言っていた。
「こんな鳥の餌食べるか」と豪語していたものである。
あの頃の孝子はどこへ行ったのだろう?

色々と有って

ここ一ヶ月色々と有ってブログが手つかずになっていた。
それでもブログぐらい書く時間は有ったのだが、そこまで頑張る気力もない私である。

私は、最近良く言われる『楽天経済圏』のお世話になっている。
この楽天が最近色々と進化してきて、対応して行くには、私みたいな年寄にはチョットきつい。

私の家のネット環境は楽天ブロードバンドの、モバイルルーターに頼っていたのだが、このモバイルルーターのサービスが、1月末で終了した。
それに伴い、付帯していたメールアドレスも使えなくなった。

幸いメールはニフティーも利用していたので、そちらを使う事にしたのだが、楽天のブロードバンド付帯のメールをメインに使っていたので、年末から関係各所にメールアドレスの変更を連絡するのが大変で有った。

家のネット環境は、モバイルルーターが使えなくなったので、スマホテザリングを使用している。
スマホは、以前にも書いた通り『Rakuten UN−LIMIT V』にしている。
ここは楽天のエリアに入っているので、使い放題だから、モバイルルーターは無くても良い。その分料金の安くなり万々歳だと思っていた。

ところがである、プリンタのスマホでのテザリングのやり方が分らない。
普通だったら、何でもやってみて問題解決するのだが、私が出来ても、孝子だけの時、孝子が自分のパソコンとプリンターが繋げなければ印刷が出来ない。

孝子は、ネット銀行の明細を月一回印刷して、保管している。
いくら電子データが見れても、紙データが無いと安心できない世代である。

そんなわけで、契約切れしたモバイルルーターを印刷するときだけ家庭内LAN用として利用することにした。

wifiルーター機能だけは契約切れでも使えるので、応急手段だ。
ただ、パソコンをスマホのアクセスポイントから、契約切れルーターに切り替えると、ブラウザが立ち上がってルーターの設定アドレスにつながってしまう。
インタネット接続エラーになるためだ。

それを無視して家庭内LANとして使用している。

この契約切れルーター自体をスマホテザリングで使用できれば最高なのだが、世の中そんなに甘くない。

色々と勉強して、最善の解決策を考えて行こうと思っている。
ルーターを新しく契約すれば良いのだが、私はケチである。
こうして考えることも老化防止!

老化防止と言えば、数週間前に楽天市場Bluetoothイヤホンを購入、スマホNHKラジオアプリを入れて英語の勉強を始めた。中学校程度の基礎英語1と基礎英語2 それにラジオ英会話を聞き逃しサービスで聞いている。

聞き流す程度で良いと思っているのでテキストの購入は考えていない。
勉強なんてテキスト揃えて準備万端で構えてやると長続きしないと思っている。

それでも飽き性の私、いつまで続くことやら。
ガン持ちでいつまで生きるか分からなくても、やることはやりたい。
やり残しがないように!
やることが有れば人は生きられると自分勝手に思っている。

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いつまでも私の相棒で‼

人生の終わり方

数日前のモーニングショーで老化について話していた。
あまり真剣に聞いていなかったので正確かどうか疑問だが、一人一人のDNAの働きが鈍って来て、老化していくという話で有ったと思う。
遺伝子組み換え等が出来る現在の技術を持ってすれば、老化の原因であるDNAの働きの鈍化を治療できるはずだ、老化も病気治療のように治すことが出来る時代が来るのではないか。
しかし、人間が不老不死になるのではなく、死の直前まで元気で生活して、身体の自由が利かなくなる時間を極力短くしようと言うお話で有った。
簡単に言うと『ピンピンコロリ』のお話だった。私もそのように人生の最後を迎えたいものだ。

そんなテレビの音声だけを聞き流しながら、私の頭の中は別の妄想をしていた。
私の仕事は電気関係の仕事なので、ついつい電気と結びつけ妄想する癖が有る。良い事か悪い事か分からないけど、私には妄想癖が有るのだ。
この『ピンピンコロリ』の話を聞いて、頭の中で私の車に積んであるサブバッテリーが思い浮かんだ。
私の車は、今流行りの車中泊仕様なので、車のメインのバッテリー以外に、停車中の電気使用が出来るようにサブバッテリーが積んである。勿論
走行充電装置もセットされていいる。
バッテリーには、それぞれの特性が有り、簡単に言うと瞬発力が得意なもの、持久力が得意なもの等と別れている。
サブバッテリーはディープサイクルバッテリーと言われるタイプで、電気が無くなる直前まで全力を出してくれる。
このバッテリーこそ正に『ピンピンコロリ』である。

普通の乾電池などの電池は、ある期間は定格の電圧を出し、その後は徐々に電圧が低下しやがて使えなくなる。
何となく人の一生に似ているように思える。
私の人生も、一応の役目を終え少しずつ電圧が下がり始めた乾電池のようなものだ。
何かに使用している乾電池が使えなくなっても、それより低い電圧でも動く物には使えたりする。
全力は出せなくても良いよと言う電池使用製品が有るのだ。
元々ケチな私は、最後は少しぐらい電圧は低くても動く時計等に入れて、電池の生涯のをまっとうさせている。

私もフルタイムでは働く力が残っていないので、週に二三日程度働いて人生の最後に向かいつつある。
私の現在の持病は肝細胞癌であり、昨年手術で切除したが、必ず再発はある。
それが早いか遅いかは神のみが知る。
その時は又適切な治療をすれば良いのだが、私の最後の時までここ繰り返しだと思っている。
幸い普段は何の自覚症状もなく普通に仕事したりしている。
と言う事は、私は最後の瞬間まで普通に生活や仕事をこなし、生涯の幕を引くことが出来る可能性が残っている。
私も少し電圧は落ちた状態の電池みたいなものだが、この状態を維持したまま『ピンピンコロリ』といきたいものだ。

徐々に電圧が落ち、寝たきりに成るような人生の終わり方はまっぴらだ。
最初に話した車のサブバッテリーは、普通は使えなくなる前に車が走行し再度充電されるので『不老不死』のようなものだが、それでも寿命は来る。
私も蓄電池(バッテリー)のように充電できれば再度若返る事が出来るのに。
正に鈍化したDNAの再生は、バッテリーの充電に等しい。

チョットした話でも、こんな風に私の頭の中で妄想が広がっていく。
愉しくも有り、楽しくも無し。

二日の朝風呂

三が日も過ぎようとしている。朝8時から箱根駅伝を昼の2時過ぎまで見ていた。その後は何のすることもなく、つい先ほどまでお昼寝タイムで有った。
正月も昔とはすっかりさま変わりした。特に今年はコロナのせいで小旅行にも行けないし、初詣も行ってない。元々、神も仏もあまり信じない孝子と私である。正月の初詣やお盆のお墓参りにはあまり意味が無いと思っているのだが、それでも世の中の習慣には時々は従う。
昨日は、スマホに1月2日の思い出として、熱田神宮の初詣の写真が私の了解もなく勝手に表示された。日付は2019年1月2日となっている。そういえば二年前、通勤ラッシュなみに込み合う電車に乗り熱田神宮へ初詣に出かけた事を思い出した。
信仰心の薄い私たちは、どちらかと言うと境内の出店や、周辺の食事処が目的で有ったのだが、何を食べたのか一向に思い出さない。只、大きな特設のさい銭箱に百円玉を前の人の頭越しに放り投げた事は覚えている。
「いくら投げた」孝子が聞くから
「百円」と答えると
「馬鹿だねぇ 百円ぐらいではご利益ないよ」と孝子
「もっとしたのか」と聞くと
「私は10円」と孝子
「神様だって、大勢の人に願い事されて困ってるよ、所詮は神社の金儲け」と付け加えた。
いかにも孝子らしい、自分の親の墓参りの時も手を合わせながら
「父ちゃんロトあててよね」と祈っている。
それでも、食べた事は忘れても、賽銭の事は覚えていた、信仰心が薄くても私はたいしたものである。何時かはご利益が有るはずである。
只、この歳になるとご利益よりも私の命の灯が消えるのが先になる可能性も有る。

そんな事を考えながら時計の針をもっともっと巻き戻してみた。
私が子供のころ、長崎の炭鉱の島に住んでいたのだが、そこでの正月を薄れかけた記憶で断片的に思い出した。
土地土地で風習は違うが、正月二日は朝風呂に入る風習が有った。
炭鉱の島には、自宅には風呂が無かった。自宅と言っても炭鉱の社宅である。
共同浴場が、二箇所あり、近くに浴場に洗面用具や着替えをもって通っていた。炭鉱の施設で有るので、一般の銭湯のように金は取らない。
私が利用していた浴場は、公園の一角に有り入り口が男湯と女湯に分かれていて、かなり大きな平屋建てで有った事を覚えている。
もう一カ所の浴場は8階建ての社宅の一階に広い浴場が作られていた。

記憶が定かでは無いのだが、夕方4時ぐらいから8時ぐらいまでが利用可能時間だったと思う。普通に言う営業時間のようなものである。
更衣室は何段かの木製の棚を正方形になるように仕切り板をつけたもので、今の日帰り温泉のコインロッカーの扉が無いよう状態を想像してもらうと分かりやすいかも知れない。
扉が無くても貴重品などを持ってくる人もいないし、みんな顔見知り、盗難の被害など無かった。
浴室は、洗い場と大きなコンクリート造りの浴槽が一つと、その半分ぐらいの浴槽が有った。小さい方の浴槽は塩湯で、海水を使用していた。
湯を沸かすのは、蒸気で、蒸気のパイプが湯船の中に直接入っていた。パイプ周辺は火傷しないように囲いがあり、パイプには竹の覆いが取り付けられていて、誤って触っても火傷する事は無かった。
湯加減は、利用者が上記パイプのバルブと、蒸気パイプと並んでいた水パイプのバルブを開け閉めして調整していた。
何人もの人が利用するので、熱い湯が好きな人がバルブ調整すると、他の人が入れないぐらい熱くすることも有ったが、そこは皆顔見知り、
「もう少し蒸気絞ってよ」と声をかけていた。
「俺ちょうど良いけど、熱いか?」
「当たり前だ、皆熱いよ」等と会話し、
「お前、よく耐えられるな」と皆で大笑いし、和気あいあいの雰囲気であった。

そんな共同浴場が正月の二日のは、午前中のみ開いていた。
元旦は風呂に入らない、二日は朝風呂と言うのがこの地方の決まり事であった。
そんな訳で、共同浴場も正月の休み期間も、二日の午前中は利用する事が出来た。風呂ギライな人もこの日は風呂に入りに来て、利用時間も平日の夕方より短かったので、大賑わいで裸の年始挨拶が共同浴場の中で行われていたことを、子供心に覚えている。
孝子にこの話をすると、孝子の田舎徳島には二日の朝風呂の風習は無かったようだ。

この共同浴場が有った公園だが、年末には餅つきの業者が来ていた。
狭い社宅では正月用の餅つきは出来ない。各家庭では、もち米を公園に来ているこの業者に持っていて餅つきを依頼していたと記憶している。
公園の餅つき業者の一角では、もち米を蒸す蒸気の湯気が立ち上り、餅つき機の機械音が響いていて、正月が近いのを実感していた。
木ねと臼で餅つきをするこの時代、餅つきの機械は珍しかったが、どのような物だったかよく思い出せない。
大きな輪っかにベルトが掛かって回転しているようだったが、動力源は思い出せない。
今、考えるとあの音からして発動機のような物だったのかも。
回転運動を往復運動に変えて、餅つきをしていたのかもと勝手に想像している。
そして運動会で使うテントと同じようなテントの中では、『もろぶた』と呼ばれていた木の箱に流し込んだ餅を、おばちゃんたちが、ちぎって丸めていた。
今思えば、この光景が正月前の風物詩だったのかもしれない。

そんな訳で、私は今でも正月二日は風呂に入る。さすがに朝風呂とはいかないが、昨日は午後3時頃には風呂に入った。
あの頃に比べ、今は各家庭に風呂が有り、便利で快適な生活が出来るようになったが、このコロナ禍で「ステイホーム」「お家で静かにお正月」と言われても、そのホームすら失った人たちがいる。
小池東京都知事が「5つの小」の付け足しみたいに言っていた、医療関係者に対する「心配り」。
医療関係者はもとより周りの人への「心配り」こそ一番大切だと私は思っている。決して付け足しではない。
心配りが有れば誰に言われなくてもマスクもするし、生活に困っている人にも気づかいをする。
コロナとの共存とは、誰も正解が出せないが、一人一人の心の気遣い、心配りに有るのではないだろうか。

年の瀬の日々

朝6時過ぎ、私の部屋のドアが開き、
「おはよう」とベットの中の私に孝子が声をかける。
「おはよう、行くの?」とまだ目も開ききらない私は返事をする。
「うん、行ってくる」と孝子
「頑張るねぇ」
「へい」と声を残し孝子は朝のラジオ体操とスロージョギングに出かけた。

私は、その返事を遠くで聞きながら、又夢の世界に落ちていった。
この二度寝が気持ちいいのである。
孝子が帰ってくるまでの短い時間だが、何時間もの睡眠に匹敵する。

孝子が帰ってくる少し前に目覚めて、モバイルルーターをオンにする。
朝の始まりである。
孝子は毎朝欠かすこと無くラジオ体操とスロージョギングに出かける。
私は今朝のようにサボる事が多くなった。
「今度は本気」とダイエットを始めた時に孝子が宣言したが、朝の冷え込みが厳しくなった今も頑張っている。
本当に本気の様だ。
あの宣言した言葉には嘘はなかった。
どこかの国の政治家も見習ってほしいものだ。
孝子の場合、これから大きい障害物が待ち構えている。
言わずとしれた『正月』だ。
正月用にネットでカニやら肉やら、やたら注文しまくっている。
そのご馳走、誰の胃の中に落ちていくのだろう。

朝食が終わり、やっと私の部屋のカーテンを開けた。
今年初めて窓に結露が有る。
「雑巾ある」と孝子に聞く
「ベランダに干して有るよ」
孝子が行った通り、白いタオルのお古がベランダに有った。
それで窓の結露を拭く、窓枠のアルミサッシの方がガラスより結露が多い。
白い古ダオルは直ぐに真っ黒になった。

「タオル、ここで洗って良い」と台所に戻った私が孝子に聞く
「だめ、そっち」と孝子が指さす。
台所の勝手口の外のバルコニーの方向だ。
「外でかい?」と私が言うと
「主婦はそうよ、寒いなんて言っとれないの」
私は、仕方なく台所でバケツにお湯を汲み、台所の外の狭いサービスバルコニーで古ダオルを洗った。

孝子は洗濯を始めようとしていたが、
「パジャマ冬は2日に一回も洗濯いらないか」と私に聞く
「汗もかかないし、そんなに洗濯しなくても良いよ」と私
「そうねぇ」
「風呂だって冬場は2日に一回じゃない」
と私は同意した。

パジャマ以外の洗濯物を洗濯機に入れ運転のスイッチを入れた孝子は
「農協へ行ってくる」と出ていった。
昨日卵を買おうと近くの行きつけのJAの直販所に行ったら、卵が売り切れていたそうで、今日は早めに買いに行ったのだ。
クリスマスで、卵の需要が多かったのだと思う。

先にかいた通り、何年も我が家は冬場は2日に一回しか風呂に入らない。
孝子を私は、臭い仲なのである。

私の仕事納めは、24日であった。
昨日は12月の月報をまとめて会社に送った。
もう大した用事もない。
少しだけ気ぜわしい年の瀬の日々を孝子と二人で過ごす事になる。

異状なし

久しぶりのブログである。
先週は一日おきに仕事が有り、日曜日も仕事が有った。
今週に入っても、日曜月曜と仕事であった、年寄りにとっては大忙しである。
いきなりステーキではないが、いきなりブログをサボっていた言い訳から書き出した。
只の怠けモノである。

怠けていて、先週木曜日の病院の診察時、説明を受けた血液検査と造影剤CTの検査結果を書いていなかった。
結論は『異状なし』であった。
CT画像で肝臓の一部に色の濃さが違う箇所が有ったが、先生から
「血液検査に異常が無いので、癌ではなく前回の切除手術の影響だと思います。これ以上大きくならないか経過観察していきましょう」
と説明が有り、一安心である。
次の検査は3か月後の3月の始めである。

言い訳した通り、検査結果発表の翌日も仕事で、いつの間にか癌の事は忘れて仕事モードに戻っていた。
仕事は、今月は私にとって新規の客先が多く、事前の下調べ等、気を遣う事が多い。
私にとってと書いたが、以前からの客先で、前任の担当者が引退した為、私が引き継いだ客先なので私にとっては新規である。
私の仕事仲間は、現役を引退した高齢者が大半である。
私も例外ではないが、何時仕事が出来なくなるか分からない。
普通なら、仕事の引継ぎが行われるのだが、前任者が急病で復帰出来なくなり、従って引継ぎも出来なかった。
そんな訳で、前任者が残している客先の情報や、報告書を事前に勉強して客先を訪問している。

と、こんな具合に仕事モードに直ぐに入ってしまう私だが、私と同じ肝細胞癌小松政夫さんが亡くなった。
私たちの年代には小松の親分さんと言う方が良いかも知れないが、謹んでお悔やみ申し上げたい。
ニュースが出た当初、孝子が
「何時からガンだったんだろう」と聞くので、
「さあねぇ」と気のない返事を返した。
私は今年の3月頃に肝細胞癌とわかり、これから何年も癌細胞とお付き合いしていく覚悟をし、孝子にも
「癌が見つかったら叩いて行く、モグラ叩きと一緒」と説明して、少し安心させていた。
肝細胞癌は、頻繁に再発するが、その都度対応して何年も健在な人もいる。
私自身、生存率は高くなくてもゼロでは無いという事は、克服した人も居るという事、私はその少数派になろうと決めている。

小松の親分さんの死去のニュースの詳細が分かってくると、孝子が無口になった。
癌が見つかってから僅か一年で無くなっているからだ。
孝子には少しショックが大きかったのだろう。普段私は
「癌もコロナと一緒、共存していくだけ」と気楽なことを言っている。
孝子にとっては、
「話が違うじゃない、死ぬ人もいる」と心で叫んでい居るのかも
小松の親分さんは癌の発見が遅かったんだろうと私は思っている。
私の場合、病院とお友達だったおかげで早期発見である。(癌とお友達になる必要は無かったのだが)
私は『はやぶさ2』が次の目標の小惑星につく10年後のニュースを聞くのを楽しみにしているが、気落ちしている孝子、暫くそっとしておいてやろうと思う。

私の部屋に先週ガスファンヒータを置いたのだが、一昨日の朝孝子が
「部屋の窓、結露してない」と聞くので
「温度設定を低くして使っているから大丈夫」と答えると
「おまはんアホか、結露は外との温度差や、部屋の温度に関係あるか」
なるほど正論である。
本調子の孝子に戻っている。安心、安心

このガスファンヒータ、リビング用だったのだが、ここ何年かエアコンばかりで、使用頻度が低かった。
私の部屋で使うには暖房能力が大きすぎるのだが、私の部屋用の電気ヒーターが電気をくう。
私と同じ食いしん坊なのかも知れないが、電気をくわれては、金が掛かる。
そこで、無理を承知で私の部屋にガスファンヒータを持ってきた。

案の定、部屋は直ぐに温まるが、ムウとして息苦しくなる。
そこで、部屋のドアを開けて使っていた。
今朝、ガスファンヒータをよく見ると『エコ』と書いたボタンが有る。
エコと言う事は、ひょっとして能力をセーブしてくれる?
試しに押してみると、これが実に良い、私の部屋のドアを閉めて丁度良い暖房をしてくれる。
自分の部屋が快適温度になり、今朝は久しぶりに机のパソコンでこのブログを打っている。
自分の部屋の暖房テストの為に、ブログを書いているようなものだ。

手ブレ

チョト朝のラジオ体操に行くのをサボっていた。
今朝、6時前に起き歯磨き顔洗い。洗い終わった頃、孝子が起きてきて、トイレに入る音がする。トイレから出てきた孝子がリビングのガラス張りドアを開け
「おはよう」と声をかける。
私はタオルで顔を拭きながら、洗面所の鏡に映った孝子に
「おはよう」と返す。

私はグズだが、何でもテキパキとする孝子は、私がパジャマから普段着に着替えた頃、洗顔も着替えも済ませてラジオ体操に行く準備完了であった。
「今日、ゴミの日だよ」と声をかけると
「忘れてた」と孝子が台所横のバルコニーに置いているゴミの袋を持ってきた。
部屋の中のゴミ入れのゴミを、燃えるゴミの袋と、プラゴミの袋に入れてゴミ出し準備完了。
「今日プラゴミ少ないね」と孝子が言う。
そう言えば何時も30リッターの袋いっぱいになるのに、今朝は半分ぐらいである。

ゴミの袋を持って孝子とドアを出る。勿論エレベーターは使用しないで、一階へ。
建物の東側のゴミ置き場にゴミを出して、ラジオ体操が行われる公園へ行く。
この時期はまだ夜明け前、東の空が赤く染まり、冷え込んだ朝の空気を暖めだしている。
ラジオ体操が始まる6時半には、だいぶん明るく成っていた。

ラジオ体操のあと、いつも通りスロージョギングを30分。
何時もなら公園6周するが、今朝は少し気合を入れて7周走った。
健康だから走る事が出来る。何時まで健康を維持できるか?
病気持ちの私は、「今を大事に」と思いながら頑張って走った。

普段は、そんな事考えもしない私だが、肝細胞癌の手術から、約3ヶ月。昨日、血液検査と造影剤CT検査の為、久しぶりに病院へ行った。
検査結果は来週木曜日の診察で、先生から告げられるが、前回も3ヶ月で再発が見つかったので、いい加減な私も少々不安になった。
再発の度にモグラたたきの様に潰していくのみだが、普段の生活に支障が出る様な治療はしたくないし、このブログを闘病記ばかりにしたくない。
バカ話でもしながら、時々闘病記がベスト。

早速話題は変わるが、スマホの機種が変わって使い方を勉強中である。
カメラの機能も違うので、私の趣味になりつつある夜空撮影の練習を数日前の満月の夜から続けている。
以前のスマホよりズーム倍率が大きいので、月面がかなり拡大されて見える。
撮影しようとすると、拡大されたぶん手ブレが大きい。
ケチな私、百均で買ったスマホ三脚で固定しているのだが、シャッターの丸い印にタッチした瞬間に画像が揺れる。
三脚をケッチっているのもあるのだが、スマホ用の望遠鏡を購入する時に、Bluetoothリモコンシャッターの購入をケチったのが致命傷である。
リモコンが有ればスマホにタッチせずにシャッターが切れる。
そうすれば百均の三脚でも、揺れる事は無い。
リモコンを再度注文しようかとも思ったが、ここで簡単にお手上げしたのでは、ケチの名がすたる。

さんざん検討を重ね、昨夜やっと満足な撮影が出来た。
スマホにタッチした時ブレる。ならばブレ終わるのを待てば良い。
簡単な事だ。閃いた!!「セルフタイマー」
ケチにはケチの意地がある。

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