人生の終わり方
数日前のモーニングショーで老化について話していた。
あまり真剣に聞いていなかったので正確かどうか疑問だが、一人一人のDNAの働きが鈍って来て、老化していくという話で有ったと思う。
遺伝子組み換え等が出来る現在の技術を持ってすれば、老化の原因であるDNAの働きの鈍化を治療できるはずだ、老化も病気治療のように治すことが出来る時代が来るのではないか。
しかし、人間が不老不死になるのではなく、死の直前まで元気で生活して、身体の自由が利かなくなる時間を極力短くしようと言うお話で有った。
簡単に言うと『ピンピンコロリ』のお話だった。私もそのように人生の最後を迎えたいものだ。
そんなテレビの音声だけを聞き流しながら、私の頭の中は別の妄想をしていた。
私の仕事は電気関係の仕事なので、ついつい電気と結びつけ妄想する癖が有る。良い事か悪い事か分からないけど、私には妄想癖が有るのだ。
この『ピンピンコロリ』の話を聞いて、頭の中で私の車に積んであるサブバッテリーが思い浮かんだ。
私の車は、今流行りの車中泊仕様なので、車のメインのバッテリー以外に、停車中の電気使用が出来るようにサブバッテリーが積んである。勿論
走行充電装置もセットされていいる。
バッテリーには、それぞれの特性が有り、簡単に言うと瞬発力が得意なもの、持久力が得意なもの等と別れている。
サブバッテリーはディープサイクルバッテリーと言われるタイプで、電気が無くなる直前まで全力を出してくれる。
このバッテリーこそ正に『ピンピンコロリ』である。
普通の乾電池などの電池は、ある期間は定格の電圧を出し、その後は徐々に電圧が低下しやがて使えなくなる。
何となく人の一生に似ているように思える。
私の人生も、一応の役目を終え少しずつ電圧が下がり始めた乾電池のようなものだ。
何かに使用している乾電池が使えなくなっても、それより低い電圧でも動く物には使えたりする。
全力は出せなくても良いよと言う電池使用製品が有るのだ。
元々ケチな私は、最後は少しぐらい電圧は低くても動く時計等に入れて、電池の生涯のをまっとうさせている。
私もフルタイムでは働く力が残っていないので、週に二三日程度働いて人生の最後に向かいつつある。
私の現在の持病は肝細胞癌であり、昨年手術で切除したが、必ず再発はある。
それが早いか遅いかは神のみが知る。
その時は又適切な治療をすれば良いのだが、私の最後の時までここ繰り返しだと思っている。
幸い普段は何の自覚症状もなく普通に仕事したりしている。
と言う事は、私は最後の瞬間まで普通に生活や仕事をこなし、生涯の幕を引くことが出来る可能性が残っている。
私も少し電圧は落ちた状態の電池みたいなものだが、この状態を維持したまま『ピンピンコロリ』といきたいものだ。
徐々に電圧が落ち、寝たきりに成るような人生の終わり方はまっぴらだ。
最初に話した車のサブバッテリーは、普通は使えなくなる前に車が走行し再度充電されるので『不老不死』のようなものだが、それでも寿命は来る。
私も蓄電池(バッテリー)のように充電できれば再度若返る事が出来るのに。
正に鈍化したDNAの再生は、バッテリーの充電に等しい。
チョットした話でも、こんな風に私の頭の中で妄想が広がっていく。
愉しくも有り、楽しくも無し。