arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

人生の終わり方

数日前のモーニングショーで老化について話していた。
あまり真剣に聞いていなかったので正確かどうか疑問だが、一人一人のDNAの働きが鈍って来て、老化していくという話で有ったと思う。
遺伝子組み換え等が出来る現在の技術を持ってすれば、老化の原因であるDNAの働きの鈍化を治療できるはずだ、老化も病気治療のように治すことが出来る時代が来るのではないか。
しかし、人間が不老不死になるのではなく、死の直前まで元気で生活して、身体の自由が利かなくなる時間を極力短くしようと言うお話で有った。
簡単に言うと『ピンピンコロリ』のお話だった。私もそのように人生の最後を迎えたいものだ。

そんなテレビの音声だけを聞き流しながら、私の頭の中は別の妄想をしていた。
私の仕事は電気関係の仕事なので、ついつい電気と結びつけ妄想する癖が有る。良い事か悪い事か分からないけど、私には妄想癖が有るのだ。
この『ピンピンコロリ』の話を聞いて、頭の中で私の車に積んであるサブバッテリーが思い浮かんだ。
私の車は、今流行りの車中泊仕様なので、車のメインのバッテリー以外に、停車中の電気使用が出来るようにサブバッテリーが積んである。勿論
走行充電装置もセットされていいる。
バッテリーには、それぞれの特性が有り、簡単に言うと瞬発力が得意なもの、持久力が得意なもの等と別れている。
サブバッテリーはディープサイクルバッテリーと言われるタイプで、電気が無くなる直前まで全力を出してくれる。
このバッテリーこそ正に『ピンピンコロリ』である。

普通の乾電池などの電池は、ある期間は定格の電圧を出し、その後は徐々に電圧が低下しやがて使えなくなる。
何となく人の一生に似ているように思える。
私の人生も、一応の役目を終え少しずつ電圧が下がり始めた乾電池のようなものだ。
何かに使用している乾電池が使えなくなっても、それより低い電圧でも動く物には使えたりする。
全力は出せなくても良いよと言う電池使用製品が有るのだ。
元々ケチな私は、最後は少しぐらい電圧は低くても動く時計等に入れて、電池の生涯のをまっとうさせている。

私もフルタイムでは働く力が残っていないので、週に二三日程度働いて人生の最後に向かいつつある。
私の現在の持病は肝細胞癌であり、昨年手術で切除したが、必ず再発はある。
それが早いか遅いかは神のみが知る。
その時は又適切な治療をすれば良いのだが、私の最後の時までここ繰り返しだと思っている。
幸い普段は何の自覚症状もなく普通に仕事したりしている。
と言う事は、私は最後の瞬間まで普通に生活や仕事をこなし、生涯の幕を引くことが出来る可能性が残っている。
私も少し電圧は落ちた状態の電池みたいなものだが、この状態を維持したまま『ピンピンコロリ』といきたいものだ。

徐々に電圧が落ち、寝たきりに成るような人生の終わり方はまっぴらだ。
最初に話した車のサブバッテリーは、普通は使えなくなる前に車が走行し再度充電されるので『不老不死』のようなものだが、それでも寿命は来る。
私も蓄電池(バッテリー)のように充電できれば再度若返る事が出来るのに。
正に鈍化したDNAの再生は、バッテリーの充電に等しい。

チョットした話でも、こんな風に私の頭の中で妄想が広がっていく。
愉しくも有り、楽しくも無し。

二日の朝風呂

三が日も過ぎようとしている。朝8時から箱根駅伝を昼の2時過ぎまで見ていた。その後は何のすることもなく、つい先ほどまでお昼寝タイムで有った。
正月も昔とはすっかりさま変わりした。特に今年はコロナのせいで小旅行にも行けないし、初詣も行ってない。元々、神も仏もあまり信じない孝子と私である。正月の初詣やお盆のお墓参りにはあまり意味が無いと思っているのだが、それでも世の中の習慣には時々は従う。
昨日は、スマホに1月2日の思い出として、熱田神宮の初詣の写真が私の了解もなく勝手に表示された。日付は2019年1月2日となっている。そういえば二年前、通勤ラッシュなみに込み合う電車に乗り熱田神宮へ初詣に出かけた事を思い出した。
信仰心の薄い私たちは、どちらかと言うと境内の出店や、周辺の食事処が目的で有ったのだが、何を食べたのか一向に思い出さない。只、大きな特設のさい銭箱に百円玉を前の人の頭越しに放り投げた事は覚えている。
「いくら投げた」孝子が聞くから
「百円」と答えると
「馬鹿だねぇ 百円ぐらいではご利益ないよ」と孝子
「もっとしたのか」と聞くと
「私は10円」と孝子
「神様だって、大勢の人に願い事されて困ってるよ、所詮は神社の金儲け」と付け加えた。
いかにも孝子らしい、自分の親の墓参りの時も手を合わせながら
「父ちゃんロトあててよね」と祈っている。
それでも、食べた事は忘れても、賽銭の事は覚えていた、信仰心が薄くても私はたいしたものである。何時かはご利益が有るはずである。
只、この歳になるとご利益よりも私の命の灯が消えるのが先になる可能性も有る。

そんな事を考えながら時計の針をもっともっと巻き戻してみた。
私が子供のころ、長崎の炭鉱の島に住んでいたのだが、そこでの正月を薄れかけた記憶で断片的に思い出した。
土地土地で風習は違うが、正月二日は朝風呂に入る風習が有った。
炭鉱の島には、自宅には風呂が無かった。自宅と言っても炭鉱の社宅である。
共同浴場が、二箇所あり、近くに浴場に洗面用具や着替えをもって通っていた。炭鉱の施設で有るので、一般の銭湯のように金は取らない。
私が利用していた浴場は、公園の一角に有り入り口が男湯と女湯に分かれていて、かなり大きな平屋建てで有った事を覚えている。
もう一カ所の浴場は8階建ての社宅の一階に広い浴場が作られていた。

記憶が定かでは無いのだが、夕方4時ぐらいから8時ぐらいまでが利用可能時間だったと思う。普通に言う営業時間のようなものである。
更衣室は何段かの木製の棚を正方形になるように仕切り板をつけたもので、今の日帰り温泉のコインロッカーの扉が無いよう状態を想像してもらうと分かりやすいかも知れない。
扉が無くても貴重品などを持ってくる人もいないし、みんな顔見知り、盗難の被害など無かった。
浴室は、洗い場と大きなコンクリート造りの浴槽が一つと、その半分ぐらいの浴槽が有った。小さい方の浴槽は塩湯で、海水を使用していた。
湯を沸かすのは、蒸気で、蒸気のパイプが湯船の中に直接入っていた。パイプ周辺は火傷しないように囲いがあり、パイプには竹の覆いが取り付けられていて、誤って触っても火傷する事は無かった。
湯加減は、利用者が上記パイプのバルブと、蒸気パイプと並んでいた水パイプのバルブを開け閉めして調整していた。
何人もの人が利用するので、熱い湯が好きな人がバルブ調整すると、他の人が入れないぐらい熱くすることも有ったが、そこは皆顔見知り、
「もう少し蒸気絞ってよ」と声をかけていた。
「俺ちょうど良いけど、熱いか?」
「当たり前だ、皆熱いよ」等と会話し、
「お前、よく耐えられるな」と皆で大笑いし、和気あいあいの雰囲気であった。

そんな共同浴場が正月の二日のは、午前中のみ開いていた。
元旦は風呂に入らない、二日は朝風呂と言うのがこの地方の決まり事であった。
そんな訳で、共同浴場も正月の休み期間も、二日の午前中は利用する事が出来た。風呂ギライな人もこの日は風呂に入りに来て、利用時間も平日の夕方より短かったので、大賑わいで裸の年始挨拶が共同浴場の中で行われていたことを、子供心に覚えている。
孝子にこの話をすると、孝子の田舎徳島には二日の朝風呂の風習は無かったようだ。

この共同浴場が有った公園だが、年末には餅つきの業者が来ていた。
狭い社宅では正月用の餅つきは出来ない。各家庭では、もち米を公園に来ているこの業者に持っていて餅つきを依頼していたと記憶している。
公園の餅つき業者の一角では、もち米を蒸す蒸気の湯気が立ち上り、餅つき機の機械音が響いていて、正月が近いのを実感していた。
木ねと臼で餅つきをするこの時代、餅つきの機械は珍しかったが、どのような物だったかよく思い出せない。
大きな輪っかにベルトが掛かって回転しているようだったが、動力源は思い出せない。
今、考えるとあの音からして発動機のような物だったのかも。
回転運動を往復運動に変えて、餅つきをしていたのかもと勝手に想像している。
そして運動会で使うテントと同じようなテントの中では、『もろぶた』と呼ばれていた木の箱に流し込んだ餅を、おばちゃんたちが、ちぎって丸めていた。
今思えば、この光景が正月前の風物詩だったのかもしれない。

そんな訳で、私は今でも正月二日は風呂に入る。さすがに朝風呂とはいかないが、昨日は午後3時頃には風呂に入った。
あの頃に比べ、今は各家庭に風呂が有り、便利で快適な生活が出来るようになったが、このコロナ禍で「ステイホーム」「お家で静かにお正月」と言われても、そのホームすら失った人たちがいる。
小池東京都知事が「5つの小」の付け足しみたいに言っていた、医療関係者に対する「心配り」。
医療関係者はもとより周りの人への「心配り」こそ一番大切だと私は思っている。決して付け足しではない。
心配りが有れば誰に言われなくてもマスクもするし、生活に困っている人にも気づかいをする。
コロナとの共存とは、誰も正解が出せないが、一人一人の心の気遣い、心配りに有るのではないだろうか。

年の瀬の日々

朝6時過ぎ、私の部屋のドアが開き、
「おはよう」とベットの中の私に孝子が声をかける。
「おはよう、行くの?」とまだ目も開ききらない私は返事をする。
「うん、行ってくる」と孝子
「頑張るねぇ」
「へい」と声を残し孝子は朝のラジオ体操とスロージョギングに出かけた。

私は、その返事を遠くで聞きながら、又夢の世界に落ちていった。
この二度寝が気持ちいいのである。
孝子が帰ってくるまでの短い時間だが、何時間もの睡眠に匹敵する。

孝子が帰ってくる少し前に目覚めて、モバイルルーターをオンにする。
朝の始まりである。
孝子は毎朝欠かすこと無くラジオ体操とスロージョギングに出かける。
私は今朝のようにサボる事が多くなった。
「今度は本気」とダイエットを始めた時に孝子が宣言したが、朝の冷え込みが厳しくなった今も頑張っている。
本当に本気の様だ。
あの宣言した言葉には嘘はなかった。
どこかの国の政治家も見習ってほしいものだ。
孝子の場合、これから大きい障害物が待ち構えている。
言わずとしれた『正月』だ。
正月用にネットでカニやら肉やら、やたら注文しまくっている。
そのご馳走、誰の胃の中に落ちていくのだろう。

朝食が終わり、やっと私の部屋のカーテンを開けた。
今年初めて窓に結露が有る。
「雑巾ある」と孝子に聞く
「ベランダに干して有るよ」
孝子が行った通り、白いタオルのお古がベランダに有った。
それで窓の結露を拭く、窓枠のアルミサッシの方がガラスより結露が多い。
白い古ダオルは直ぐに真っ黒になった。

「タオル、ここで洗って良い」と台所に戻った私が孝子に聞く
「だめ、そっち」と孝子が指さす。
台所の勝手口の外のバルコニーの方向だ。
「外でかい?」と私が言うと
「主婦はそうよ、寒いなんて言っとれないの」
私は、仕方なく台所でバケツにお湯を汲み、台所の外の狭いサービスバルコニーで古ダオルを洗った。

孝子は洗濯を始めようとしていたが、
「パジャマ冬は2日に一回も洗濯いらないか」と私に聞く
「汗もかかないし、そんなに洗濯しなくても良いよ」と私
「そうねぇ」
「風呂だって冬場は2日に一回じゃない」
と私は同意した。

パジャマ以外の洗濯物を洗濯機に入れ運転のスイッチを入れた孝子は
「農協へ行ってくる」と出ていった。
昨日卵を買おうと近くの行きつけのJAの直販所に行ったら、卵が売り切れていたそうで、今日は早めに買いに行ったのだ。
クリスマスで、卵の需要が多かったのだと思う。

先にかいた通り、何年も我が家は冬場は2日に一回しか風呂に入らない。
孝子を私は、臭い仲なのである。

私の仕事納めは、24日であった。
昨日は12月の月報をまとめて会社に送った。
もう大した用事もない。
少しだけ気ぜわしい年の瀬の日々を孝子と二人で過ごす事になる。

異状なし

久しぶりのブログである。
先週は一日おきに仕事が有り、日曜日も仕事が有った。
今週に入っても、日曜月曜と仕事であった、年寄りにとっては大忙しである。
いきなりステーキではないが、いきなりブログをサボっていた言い訳から書き出した。
只の怠けモノである。

怠けていて、先週木曜日の病院の診察時、説明を受けた血液検査と造影剤CTの検査結果を書いていなかった。
結論は『異状なし』であった。
CT画像で肝臓の一部に色の濃さが違う箇所が有ったが、先生から
「血液検査に異常が無いので、癌ではなく前回の切除手術の影響だと思います。これ以上大きくならないか経過観察していきましょう」
と説明が有り、一安心である。
次の検査は3か月後の3月の始めである。

言い訳した通り、検査結果発表の翌日も仕事で、いつの間にか癌の事は忘れて仕事モードに戻っていた。
仕事は、今月は私にとって新規の客先が多く、事前の下調べ等、気を遣う事が多い。
私にとってと書いたが、以前からの客先で、前任の担当者が引退した為、私が引き継いだ客先なので私にとっては新規である。
私の仕事仲間は、現役を引退した高齢者が大半である。
私も例外ではないが、何時仕事が出来なくなるか分からない。
普通なら、仕事の引継ぎが行われるのだが、前任者が急病で復帰出来なくなり、従って引継ぎも出来なかった。
そんな訳で、前任者が残している客先の情報や、報告書を事前に勉強して客先を訪問している。

と、こんな具合に仕事モードに直ぐに入ってしまう私だが、私と同じ肝細胞癌小松政夫さんが亡くなった。
私たちの年代には小松の親分さんと言う方が良いかも知れないが、謹んでお悔やみ申し上げたい。
ニュースが出た当初、孝子が
「何時からガンだったんだろう」と聞くので、
「さあねぇ」と気のない返事を返した。
私は今年の3月頃に肝細胞癌とわかり、これから何年も癌細胞とお付き合いしていく覚悟をし、孝子にも
「癌が見つかったら叩いて行く、モグラ叩きと一緒」と説明して、少し安心させていた。
肝細胞癌は、頻繁に再発するが、その都度対応して何年も健在な人もいる。
私自身、生存率は高くなくてもゼロでは無いという事は、克服した人も居るという事、私はその少数派になろうと決めている。

小松の親分さんの死去のニュースの詳細が分かってくると、孝子が無口になった。
癌が見つかってから僅か一年で無くなっているからだ。
孝子には少しショックが大きかったのだろう。普段私は
「癌もコロナと一緒、共存していくだけ」と気楽なことを言っている。
孝子にとっては、
「話が違うじゃない、死ぬ人もいる」と心で叫んでい居るのかも
小松の親分さんは癌の発見が遅かったんだろうと私は思っている。
私の場合、病院とお友達だったおかげで早期発見である。(癌とお友達になる必要は無かったのだが)
私は『はやぶさ2』が次の目標の小惑星につく10年後のニュースを聞くのを楽しみにしているが、気落ちしている孝子、暫くそっとしておいてやろうと思う。

私の部屋に先週ガスファンヒータを置いたのだが、一昨日の朝孝子が
「部屋の窓、結露してない」と聞くので
「温度設定を低くして使っているから大丈夫」と答えると
「おまはんアホか、結露は外との温度差や、部屋の温度に関係あるか」
なるほど正論である。
本調子の孝子に戻っている。安心、安心

このガスファンヒータ、リビング用だったのだが、ここ何年かエアコンばかりで、使用頻度が低かった。
私の部屋で使うには暖房能力が大きすぎるのだが、私の部屋用の電気ヒーターが電気をくう。
私と同じ食いしん坊なのかも知れないが、電気をくわれては、金が掛かる。
そこで、無理を承知で私の部屋にガスファンヒータを持ってきた。

案の定、部屋は直ぐに温まるが、ムウとして息苦しくなる。
そこで、部屋のドアを開けて使っていた。
今朝、ガスファンヒータをよく見ると『エコ』と書いたボタンが有る。
エコと言う事は、ひょっとして能力をセーブしてくれる?
試しに押してみると、これが実に良い、私の部屋のドアを閉めて丁度良い暖房をしてくれる。
自分の部屋が快適温度になり、今朝は久しぶりに机のパソコンでこのブログを打っている。
自分の部屋の暖房テストの為に、ブログを書いているようなものだ。

手ブレ

チョト朝のラジオ体操に行くのをサボっていた。
今朝、6時前に起き歯磨き顔洗い。洗い終わった頃、孝子が起きてきて、トイレに入る音がする。トイレから出てきた孝子がリビングのガラス張りドアを開け
「おはよう」と声をかける。
私はタオルで顔を拭きながら、洗面所の鏡に映った孝子に
「おはよう」と返す。

私はグズだが、何でもテキパキとする孝子は、私がパジャマから普段着に着替えた頃、洗顔も着替えも済ませてラジオ体操に行く準備完了であった。
「今日、ゴミの日だよ」と声をかけると
「忘れてた」と孝子が台所横のバルコニーに置いているゴミの袋を持ってきた。
部屋の中のゴミ入れのゴミを、燃えるゴミの袋と、プラゴミの袋に入れてゴミ出し準備完了。
「今日プラゴミ少ないね」と孝子が言う。
そう言えば何時も30リッターの袋いっぱいになるのに、今朝は半分ぐらいである。

ゴミの袋を持って孝子とドアを出る。勿論エレベーターは使用しないで、一階へ。
建物の東側のゴミ置き場にゴミを出して、ラジオ体操が行われる公園へ行く。
この時期はまだ夜明け前、東の空が赤く染まり、冷え込んだ朝の空気を暖めだしている。
ラジオ体操が始まる6時半には、だいぶん明るく成っていた。

ラジオ体操のあと、いつも通りスロージョギングを30分。
何時もなら公園6周するが、今朝は少し気合を入れて7周走った。
健康だから走る事が出来る。何時まで健康を維持できるか?
病気持ちの私は、「今を大事に」と思いながら頑張って走った。

普段は、そんな事考えもしない私だが、肝細胞癌の手術から、約3ヶ月。昨日、血液検査と造影剤CT検査の為、久しぶりに病院へ行った。
検査結果は来週木曜日の診察で、先生から告げられるが、前回も3ヶ月で再発が見つかったので、いい加減な私も少々不安になった。
再発の度にモグラたたきの様に潰していくのみだが、普段の生活に支障が出る様な治療はしたくないし、このブログを闘病記ばかりにしたくない。
バカ話でもしながら、時々闘病記がベスト。

早速話題は変わるが、スマホの機種が変わって使い方を勉強中である。
カメラの機能も違うので、私の趣味になりつつある夜空撮影の練習を数日前の満月の夜から続けている。
以前のスマホよりズーム倍率が大きいので、月面がかなり拡大されて見える。
撮影しようとすると、拡大されたぶん手ブレが大きい。
ケチな私、百均で買ったスマホ三脚で固定しているのだが、シャッターの丸い印にタッチした瞬間に画像が揺れる。
三脚をケッチっているのもあるのだが、スマホ用の望遠鏡を購入する時に、Bluetoothリモコンシャッターの購入をケチったのが致命傷である。
リモコンが有ればスマホにタッチせずにシャッターが切れる。
そうすれば百均の三脚でも、揺れる事は無い。
リモコンを再度注文しようかとも思ったが、ここで簡単にお手上げしたのでは、ケチの名がすたる。

さんざん検討を重ね、昨夜やっと満足な撮影が出来た。
スマホにタッチした時ブレる。ならばブレ終わるのを待てば良い。
簡単な事だ。閃いた!!「セルフタイマー」
ケチにはケチの意地がある。

f:id:arakabu-kamenote:20201204102132j:plain

アットマーク

先週は色んな事やっていて、チョット多忙でした。
前回書いた仕事のプリンターの用紙挿入の件、だいたい上手く行ったんだけど、まだチョット改善の余地ありです。
その改善策の検討もまだ続いています。
プリンターに用紙を真直ぐに挿入できないなんて、やっぱり歳のせいかな?トホホです。

それは扠置き、先週の一番の苦戦は、孝子のスマホのSIM入れ替え。
私も孝子も楽天の格安スマホだったのだが、楽天が大手キャリアの仲間入りして、今コマーシャルしている、『Rakuten UN−LIMIT』プランを始めた。
格安スマホの料金にほんの少し上積みすした金額と、『Rakuten UN−LIMIT』の金額が同等である。
電話の通話も無料になる。これは楽天の格安契約から『Rakuten UN−LIMIT』に乗り換えるべきだ、と言う結論に達した。

前に書いた通り、まず初めに私のスマホを『Rakuten UN−LIMIT』に乗り換えた。ただ私の場合、使用していたスマホの機種が『Rakuten UN−LIMIT』対応機種で無かったので、機種変更も必要であった。
機種を変更したので、当然アプリの引継ぎなど余分な手数がかかったが、どうにか自宅で自分でSIM交換等の変更作業が出来た。
ただ、ラインのトークの引継ぎ上手くいかず、過去のトークが消えてしまった。それを見ていた孝子が
「私のは楽天ショップでやってもらう」と言い出した。
私もそれはそれで良いか、と思っていた。
孝子は自分のスマホの乗り換えも私に丸投げする事は、はじめから分かっている、ショップでやってもらった方が私も楽だ。

ところが、ここに来て、コロナの第3波。
名古屋の栄地下街の楽天ショップに行くには一寸コロナのリスクがある。孝子が一人で行ければ良いが、方向音痴の孝子は無理だ。
当然私が同行しないといけないが、70手前の癌持ちの身、最後はコロナで死んでは笑いものだ。
そんな訳で、孝子のスマホも、ネットで変更手続きをする事になった。

孝子のスマホは『Rakuten UN−LIMIT』に対応している機種だったので、SIMの入れ替えと簡単な設定だけで済む。私のスマホと比べたら簡単、簡単となめていたのがいけなかった。
SIMが自宅に配達されて、直ぐに入れ替え作業にかかった。数日前に自分のスマホをやったばかりなので最初は簡単である。
新しいSIMに入れ替えて、格安回線から『Rakuten UN−LIMIT』回線への切り替えは直ぐに済んだ。
次は『Rakuten UN−LIMIT』用の無料通話アプリを入れる。アプリをダウンロードして、初期の設定の途中、楽天のIDとパスワードの入力が必要であった。
楽天会員のIDとパスワード教えて」と孝子に声を掛ける。
生真面目な孝子はセキュリティ対策の為、色んな所のパスワードを頻繁に変更している。自分でも管理できなくなるので、一冊のノートで、IDとパスワードを管理している。
「多分今は、これかな」とノートの中の一行を自信無さそうに指差した。
私は、そのIDとパスワードを入力。次へをタップすると、IDかパスワードが間違っていると表示され、次へ行けない。
楽天のIDは、メールアドレスなので、孝子のメールアドレスを間違えるはずは無い。
パスワードが違うのだ。
「パスワード違うと出たかで」と孝子に聞くと
「それなら、こっちかな」と違うページの一行を指さす。
それを間違えの無いように慎重に入力しても又駄目であった。
そんな事を数回繰り返して、どうしてもダメだった。
このアプリが使えないと無料通話ができない。
『パスワードを忘れた場合』をタップして、新しいパスワードを再設定してもダメであった。

もう私には対応のしようが無い。電話で聞こうと思ったが、電話対応までの待ち時間が1時間近くかかるようだ。
直ぐに対応してくれるAIアシスタントに問い合わせてみたが、AIはAI人間と違いチンプンカンプンな回答ばかり。

待てよ、パスワードを新しくしてもダメと言う事は、ひょっとしてIDの方か?
いくら見てもIDに使用しているメールアドレスに間違いはない。
最近のIT機器は、入力の途中で、候補を表示、それを選択するだけで簡単に入力できる。
私も、メールアドレス入力時、候補に表示された孝子のアドレスを選択していた。
間違いはないと思いながらも、今度は候補が出ても選択せずに入力を続けた。
アットマークを入力した時、候補の出ている@以外に似た@候補が幾つか有るのに気づいた。
候補で出ているアットマーク以外の、見た目は殆ど見分けがつかないアットマークを選択して入力してみた。
パスワードは一番新しく設定したパスワードを入力。次へをタップした。
大成功である。何時間も苦労したのに呆気なく問題解決。\(^o^)/
半角、全角や大文字、小文字の違いについては、直ぐに気付くがアットマークの違いとは!
また一つ勉強した。
そんな苦労が有って、機種変更も伴った私のスマホの設定の倍以上の時間がかかったが、孝子のスマホも無事に乗り換えが出来た。

そんな私の苦労が有ったことも知らず孝子はスマホを使用している。

ダイエット中でコメ抜きのはずの孝子が、夕食の終わりに私のご飯茶碗を借りて
「ほんの一口ね」と言い訳してご飯をつぎ、
「うちのコメ、なんでこんなに美味しんだろう?」と言いつつ、満面の笑みで、ご飯に醤油を少しかけ、ノリを巻いて食べてる。
「この醤油の香り、たまらん」
「家って、食べる事に関しては贅沢かな?」なんて言っている。
コメに関しては確かに贅沢かも。郵便局に毎月全国のコメ産地から違うコメを配達してもらっている。
その米を土鍋で炊いて食べる。
孝子が主食の米ぐらい高くついても美味しいものを食べようと考えての事。
食う事に対しては、努力を惜しまない。
それくらい他の事も努力すれば、今頃別の人生が有ったはずの孝子である。

悪戦苦闘

「寒いねぇ」
「今日は今までよりチョット寒いんか?」
「今まで感じんかった寒さがあるぞ」
なんて孝子と会話しながら、電気カーペットの上で足には毛布をかけて、キーを打っている。
その横で毛布にくるまった孝子は、朝のお休みタイムに入ろうとしている。

昨日と今日は仕事がない。今朝は何時もの休みの日のように、6時前に起き6時半からの公園のラジオ体操に行った。
ラジオ体操の後、公園内の周遊路を30分ほどスロージョギングするのが最近の日課だ。
私は仕事がない日以外は出来ないが、孝子は毎日続けている。
孝子に言わせると
「今回は何時もと違うよ」である。
私には言わないが、あまりにも体重が増加して、本当にヤバイ状況になったみたいだ。
直ぐに飽きてしまう孝子が毎日早起きして運動を続けている。

スロージョギングが終わって帰宅、汗ダクのシャツを着替えて朝食を摂った。
その後、孝子と私は別行動なのだが。今朝は寒さに負けて二人仲良く電気カーペットとお友達になっている。

昨日は、私は自分の部屋に籠もり、悪戦苦闘していた。
つい最近、会社の仕事で使用しているモバイルプリンターが、エプソンのインクジェットから、ブラザーの感熱式に変わった。
とにかく小さい、持ち運びも楽になったのだが、感熱紙を使うのは、何十年か前のワープロ依頼である。
仕事ではA4用紙にプリントアウトするのだが、感熱紙の裏表がわかりにくい。
又、手持ちサイズのプリンターに用紙を真直ぐにセットするのが私には至難の技である。
ここ数日、プリントミスが50%ぐらいある。

そんな状況だから、休みになった昨日は、プリンターに用紙をセットする練習をしていた。
不器用は私は、どうしても真直ぐに用紙をセットすることが出来ない。
不器用が原因ではなく人間が曲がっているのかも?
でも、どんな人間でも上手く使えてこその製品である。
このプリンター欠陥品か?なんて一人ぼやきながら、対応策を検討した。

ピーン!
閃いた。普通のプリンターには用紙のガイドがある。
このプリンターは手持ちサイズのため用紙の挿入ガイドが無い。
それが問題だ!!
思い立ったら即行動。近くのホームセンターに行き、用紙のガイドの代用になるものを探す。
見つけた、A4サイズピッタリのプラスチック製の下敷き。
これに用紙を乗せてプリンターの用紙挿入口に持っていき、用紙だけ滑り込ませる。
簡単で、真直ぐに入る。
『グッドアイデア』!
早速下敷きを購入、安いものである。

自宅で早速テスト、上手くいくが、用紙をプリンタに滑り込ませる時、下敷きの静電気が邪魔をして用紙の滑りが悪い。
そこで、プラスチック製の下敷きにコピー用紙をセロテープで貼り付けた。
下敷きと感熱紙の間にコピー用紙が入った事により、静電気の影響を受けなくなたった。
悪戦苦闘したが、大成功である。

明日は、仕事である。早速この新兵器の出番が来る。
下敷き一枚で用紙のセットが楽になれば、万々歳である。

『必要は発明の母』まさにその通り。
この用紙セット法、大発明家もかもね(^o^)

f:id:arakabu-kamenote:20201112152826j:plain