2022年1月
年が明けて早くも一ヵ月が過ぎようとしている。
毎日今日こそはブログを更新しようと思うのだが、なんやかんや理由をつけて怠けているのが現状である。
所詮は怠け者である。
一月も最終日、今年の目標『毎月一回はブログを更新』と決めた。
本来なら正月三が日中には決めるべき目標が、一月の最終日になってやっと決まった。
なんとまあ、とりあえず『めでたしめでたし』である。
そんな訳で、何の構想もなく、とりあえずは一月分のブログを書く事にした。
そもそも、構想なんて硬い事を考えるからブログを書き始められない、ま、日記、記録と思って、その月に有った事を箇条書き的に書いてみよう。
- 孝子の名言
1月10日は『成人の日』であった。
成人の日を前に、再び新型コロナが猛威をふるい始める兆し、オミクロン株とか何とか、よくわからない言葉がニュースをにぎわせていた。
そんな中テレビから、
「昨年はコロナで成人式が延期されたり、中止になったりしましたが、今年はどのように対応するのでしょうか?」
「新成人にとって一生に一度の事ですから、どうにか無事に行われる事を願います」
なんて内容のニュースだったのか、対談だったのか、そんな音声が流れていた。
台所で食事準備中の孝子がそれを聞いて
「馬鹿言ってんじゃないよ、21歳の誕生日も、22歳の誕生日も、還暦も米寿も一生に一度だ」
とつぶやき、野菜を刻む包丁の音が一段と高くなった。
最近、不満が多くストレスが溜まり気味の孝子は、いろいろと喚き散らす事が有る。
私に当たられても大迷惑なのだが、これは名言だと私は思った。
さすがに孝子である。
人は長い人生を歩み続けるが、生きているのは、その一瞬一瞬の積み重ね、一生に一度しかない時間の点が積み重なって人生と言う長い線になっているのだ。
だからこそ、今、この時を大切に生きないといけないと孝子の一言で、思い知らされた。
過ぎ去った過去は、その人の心の記憶であり、良い事も有れば悪い事もある。
それは、変更できないし、その時はそう決めて動いてきたのだから「それで良し」と思うしかない。
今、この一瞬から、新しい記憶を作って行くと思い直し、この時を大切にしたいものである。
- 不穏な動き
最近のニュースで気になるのは、北朝鮮、ロシア、中国等の不穏な動きであるが、それに対する西側の国際社会や日本の対応もさらに心配である。
私が心配してもどうなる事でもないが、とりあえず今思う事をザックバランに書いてみる。
まずは国際社会の動きで有るが、私たちが聞いている報道は西側世界(自由主義世界)の報道であり、どこまでが真実で、フェイクなのか?
ロシアのウクライナ侵攻は、本当に有るのか?
西側が煽って、ロシアが切れると、軍事産業は莫大な利益、資本主義経済にとって、成長に成長を重ね成長が止まりかけると、戦争をする。お決まりのシナリオのようにも思えなくはない。
日本の対応については、最近の北朝鮮のミサイル発射等の不穏な動きに対応してかどうか分からないが
「敵基地攻撃能力」などと、私に言わせればとんでもない事を言い出している。
日本は専守防衛が本筋。あくまでも『防衛』である。
攻撃が想定され、攻撃される前に敵基地を攻撃する。
それが防衛だろうか?
「殴られそうだから、その前に殴った」では、正当な防衛ではない、過剰防衛である。
政府は国民の生命を守る為と言うが、その為に相手の国の人を傷つけても良いのか?
私は個人的には
相手を殺してまで自分が生き延びようとは思わない。
国民の生命財産は大切なものだが、何をしても良いと言うものでは無いし、国民の中には、私みたいに、相手を殺してまで生きようと思わない人もいるはずである。
敵国で有っても一般人を攻撃しないのは、当然であるが、その一般の人の中から、その人に意思に関係なく兵士にさせられた人も多いと思う。
人は人、兵士も人なのである。
敵基地を攻撃しても民間人(一般人)を攻撃するわけではない。
そんな、言い訳が通るはずは無いと私は思うし、そんな事までして生き続けたくない。
ま、この歳だからそう言えるのかも知れないが、あくまでも私個人の考えである。
これからの世界を背負う人たちに、希望溢れる世界が待っている事を祈るばかりである。
そんな世界を残していく義務が有ったのは、私たち世代だったのかも知れない。
ま、こんな感じで今月の我が家や私の事を書いてみた。
ただ単に、書きなぐりであるが、ブログ更新しないよりましかな、と思っている。