arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

グループラインとふるさと

私の生まれ育ったのが、長崎である事を以前書いた。
その長崎を今台風9号が通過中である。その頃の同級生とグループラインをしているので、テレビの台風情報とは別の視点から現在の長崎の状況を知ることが出来る。
半世紀以上前の同級生は、今は全国に散らばっているのだが、それでも長崎県内在住者が多い。
一時間位前から、スマホが『チン・チン』とひっきりなしだ。
同級生グループラインの音である。
『雨、風が強くなってきた』から始まり、また別の同級生が
『窓ガラスが割れないか心配・・・・』それに対し
『・・・汚くなりますが、ガムテープで補強・・・』と別の同級生がアドバイス
『ダンポールも使えないかな?』と提案する人
同級生は、何かあればあの頃に戻って協力。大人になってから顔も合わせてない同級生も居る。街ですれ違っても、おそらく気付かないだろう。
それでもグループラインの中では、子供の頃の顔を思い浮かべながらバカ話したり、今日のように助け合ったりする。実に良いもんだ。

スマホを使っていない同級生も居るので、グループライン人数は限られるが、それでも同級生の3分の1位の人数はいる。
この歳で、同級生のグループラインが、こんなに盛り上がっているのも珍しいのかも知れない。
最初は少人数だったのだが、友達の輪が広がるみたいに、あっという間に同級生が集まった。
そう言う私も、同級生グループラインの存在を途中で知り、仲間入りした。
最初にグループラインを立ち上げた人には、本当に感謝である。
私たちが育った島は、炭鉱の島で日本から炭鉱が無くなった今は、里帰りする人も居ないので、同級生と会う事も無いと思っていた。

私たちは、ふるさとが無くなったのだ。
ところが、この同級生のグループラインで、お互いの消息が分かった。
この歳なので、既に亡くなった同級生も居るが、グループラインが出来るまでは、その情報さえ知らなかったのだ。
数年おきに同窓会も実施している。ただ、故郷が無い私たちは、お盆や正月の里帰り時に故郷で同窓会と言うわけにはいかない。
全国に散らばっている同級生の、要望で開催場所も変えているので、どうしても参加率は低い。
そんな訳で、同級生グループラインのメンバーでもまだ顔を合わせてない同級生も多いのだ。

この歳になっても、借家住まいの私、大して金が無いのも確かなのだが、どこを終の棲家にしようか決める事が出来づにいるのも確かである。
多くの人は、自分の現役時に勤めている街に家を建てる。あるいは、現役を引退したら故郷に帰って終の棲家を建てたりするだろう。
私の場合、現役で勤めていた街に家を建てても、その家に帰ってくる子供は居ない。仕事を退職し孝子と二人で暮らす街としては今一つ。現役を引退したら、田舎暮らしも良いなと思うが、帰るふるさとが無い。
ネットで最近流行りの、移住サイトを検索しているが、未だに終の棲家を決めることが出来ない。
そうこうしているうちに、私の病気。あまり田舎だと医療体制が不安。
そんなこんなで、今はURの賃貸に住んでいる。
何処に終の棲家を構えても、子供のいない私たちの家は何れ廃屋となり、ご近所に迷惑をかける。
そう考えると、なかなか結論が出ない。
ふるさとが無いのは辛い。