arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

未来新聞

昔の話である。1990年代、私は、長崎県の小さな島に住んでいた。自宅では、この地域の代表的な地方紙を購読していた。今日は、その地方紙の忘れられない記事のことを書こうと思う。

新聞は、社宅のドアポケットに朝早く配達されるのだが、ある年の元旦、朝早く配達された新聞は、ドアの外ノブにレジ袋に入れて掛かっていた。
正月は、紙面が多く広告類も大量に有るので、ドアポケットには入らない。それで毎年ドアノブに掛けてあるのだ。
元旦の朝の寝ぼけ眼でドアを開けて、ドアノブからその袋を外し室内に持ち込んだ。
広告の山である、紙面も特集号等が本誌とは別になっている。その中に、本誌とそっくりの少し枚数が少ない別紙が有った。本誌と同じレイアウトの一面の右上に
『未来新聞』と新聞名が記されてあった。今日は記憶に残るこの未来新聞事を私の頭の記憶が薄れる前に書き留めておこう。

一面のトップは『初日の出暴走』の記事であった。当時は暴走族の全盛期で、富士山の初日の出を見る為、多くの暴走族が、暴走行為をしながら富士山麓に集まり、社会問題化していた。
記憶には残っていないが、20××年1月1日の未来の日付のこの新聞では、同じ初日の出暴走でも、主役が違っていた。
年寄りの暴走族集団の暴走行為である。高齢化時代に入り、仕事を引退した高齢者が、昔取った杵柄とばかり、バイクを走らせる。そんな時間を持て余した年寄りは集団を作り、暴走族を結成、20世紀後半の若者の暴走族と同じような暴走行為を繰り返している。
医療が発展し元気なお年寄りが増え、やりたい放題である。
その紙面の裏面には、今年成人となる若者たちの新年のディスカッションの記事があり、最近の高齢者の目に余る行為にどう対処するか、真剣に話し合われていた。

その他にも、社説等で、高齢化問題が書いてあったが、何せ昔の事、記憶が定かでない。当然、どんなに優秀な新聞記者も未来の事なんて分かるはずない、今流行りのフェイクニュースのてんこ盛りである。最終面のテレビ番組欄も架空の番組の山である。
よくこんな紙面を作成出来たなと、感心しながら自分自身も未来へと旅立っていた。

すっかり歳をとった私は、真っ赤なオープンカーのステアリングを握り、当時マッチ(近藤真彦)の歌ではやっていたバンダナを白髪にまいて、バイクの高齢者暴走族集団の先頭を走っている。勿論私の車には集団の団旗がはためいている。そこへ若者のバイクが並走してきて
「爺さん、やるねぇ」と声をかけてきた。
「兄ちゃんも、がんばりやぁ」と軽く受け流し、片手を上げる、その手は皺だらけであった。そんな空想の未来に浸ってニンマリしている私であった。
未来新聞が連れて行ってくれた未来には、似ても似つかぬ今の私である。

少子高齢化の今、近い将来そんな時代が来るのかも知れないが、年寄り暴走族が蔓延り問題化人する、そんな反面平和な未来は来るのだろうか?
第三次世界大戦なんて未来にならない事を、祈るばかりである。