arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

もう一つの恒例行事

自家用車や会社から借りている社有車の車検など年に一度の恒例行事に追われていたが、先日社有車の車検が終わり、ちょっとだけ、息抜きが出来た。

仕事はもう少ししたら、再開するが、1ヶ月半仕事を休んでいたので、少しだけ不安が有る。
会社では、仕事のペーパーレス化に移行中で、その為の専用アプリの使用方法などの説明が毎月の会議で実施されている。
現在テスト運用への以降段階で、私みたいに高齢になると少し勉強しないとついて行けない。
そんな訳で、仕事を少し離れていたので、上手くアプリを使えるか、少しだけ不安なのだが、仕事を再開すると直ぐに慣れると楽観している。

パソコンやタブレットなんて、説明をしっかり読むより、やってみると案外簡単なものと思っている。
やってみて少しは失敗して、そうしながら覚えて行くものだ。
以前は、説明書をしっかり読んで、ある程度納得してから、事にあたるタイプだった。

孝子は、私と全く逆で、新しいものは、よくわからなくても、即扱うタイプで、私よりはるかに早くパソコンやタブレットなどの操作を覚えて行った。

そんな孝子を見ていて、私も考えを変えた。とにかくやってみる事、やってみてどうしても分からない時だけ、説明書を読めば良いと思うようになった。
孝子は、ちょっとだけせっかちで、時々ミスもするが、その積極性凄いと思っている。
思っていても決して口にしない。
直ぐに天狗になるタイプだから、そのへんは上手く取り扱わないといけない。
孝子の取り扱いにこそ、説明書がいるのかもしれない。

孝子の話になったので、付け加えておくが、孝子にも車の車検ではないが、定期的な恒例行事がある。
私も孝子も食いしん坊である、したがって直ぐに食べすぎて太ってしまう。
私は胃を半分切ってから、食べる量が減って、太らなくなったのだが、孝子は元気そのもの、食べる、食べる。
その結果は、考えるまでもない。

それで孝子は、定期的にダイエット期間に入る。
私が、食い物で釣って車中泊の小旅行を承諾させようと、良からぬ企みを企てているのを見透かしたかのように孝子が、
「今日からダイエットするから」と先日宣言。

私の小旅行の計画は、呆気なく崩壊した。
今日辺り満月で、夜空を見ながら車中泊、なんて最高だったのだが、仕方なくベランダで月を見上げている。
スマホで、何時ものように満月を撮影、相変わらず上達しない。
ここ数ヶ月は、木星土星も隣り合わせに見えるので、夜空は結構楽しめる。
半ば、やけくそ気味に星空を見上げている。

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ToDoリストをこなす日々

一寸の間ブログをサボっていました。
何時もの事ですけど、ここ数日、日々の予定が立て込んでいました。
退院して、仕事復帰まで体力回復の為、のんびりとしているのですが、私的な要件も少しは有ります。
先週の木曜日からちょっとした予定が毎日有って、何となく気が落ち着きませんでした。
内科の通院、外科の通院、車検に出していたマイカーの引き取りと、続いていました。
昨日は、11月の業務スケジュールを作成し、会社にメール。
今朝は、ラジオ体操と朝のウォーキングを終えて、何時もの朝食。
9時を過ぎてから、私が仕事で使用している社有車(会社のリース車)の車検の日程を、指定の整備工場に電話して明後日の30日に決定しました。マイカーと違ってこちらの車検は一日で終了予定です。
この社有車車検が終了すると、仕事復帰前の予定はすべて終了。10月9日に予定している仕事復帰までに、遊ぶ時間が少しでも取れれば、近場で車中泊でもしたいと思っています。

今日は社有車の車検の日程を決める事が『やる事リスト』のトップでしたので一安心。仕事復帰に向けて細かい事は沢山有るのですが、それはそれなりにです。
イカーの車検で取り外していた車内の小さなテーブル等も取り付けたので、あとは何処へ行くか?それが問題です。
GoToキャンペーンも動き出し、世の中少し浮かれ気味ですが、ここは慎重に考えないと。
本当は信州や山梨方面に遊びに行きたいのですが、私が住んでいる愛知県では、県内と岐阜県三重県への移動なら問題なしと言う見解で、その他の場所はあまり推奨していません。
私自身も癌持ちの片足高齢者の仲間入りしている身、コロナは命取りになるかも?と私は決して思っていませんが、孝子がうるさいので従わざるを得ません。
仕事復帰前の休んでいる間に遊びに行きたいのですが、孝子は肝臓のガン摘出手術をしたばかりだから今回は見送ろうと考えているようです。
そんな訳で、孝子に分からない様に、こっそりとネットで旅先を検索中です。
一二泊程度の小旅行なら出来るかな、と甘く考えています。
食い気満々の孝子ですから、美味しいものが食べれて、美味しい地酒が飲めるスポットを見つければ、今回は旅行を控えると言っていても一瞬で
「そんなに行きたいなら、行くか」と顔をほころばせてOKになるはず。

誰にでも弱点は有ります。そこを突くことが秘訣。
ちょっと甘いかな?

食べ過ぎの日々

ここ二三日食べ過ぎである。始まりは19日であった。
19日は、自家用車の車検を電話で予約していた。最近はマイカーの一日車検が普通になりつつあるが、我が家の車は、昔のように1週間ぐらい車屋に預けて車検をする。
しかも、4ナンバーであるので、車検は毎年やってくる。年に一度の一大イベントである。
購入して8年以上になる我が家の車は、商用車を少し改装して、車中泊仕様にしている。
当初、本格的なキャンピングカーにしようとも考えたのだが、孝子が
「私、遊びに行った先で、料理までしないよ、その土地の美味しい料理いただくのが旅行の楽しみよ」
と、正論を言った。
確かにそうである、折角旅に出たら、その土地のグルメを頂かずして何とするである。
当時は、私もアルコールをたしなんでいた。旅先で美味しい地酒を飲みたくても車の運転が有るので、お預けと言う事も多かった。
そこで、運転の事は考えずに、飲んだらそのまま車で寝れるキャンピングカーの購入である。
と言う事は、別に車にキッチンがある本格的はキャンピング仕様でなくても、寝れば良いのだ。
そう考えると結論は早かった。
そうして現在の車中泊仕様の車を購入。旅先での宿泊代の節約になるのは勿論だが、旅館やホテルを予約しなくて済む。
車で旅をする時、その日の宿泊先が決まっていると、行動が制限されることが多い、運手に疲れても、その日の宿泊先までは行かないと行けなかったり、反対に時間が有るので、別のところに行きたいと思っても、簡単に変更できない。
自分の車で出かけて来てるのに、宿泊先を予約していて自由が利かない。ツアー旅行とあまり変わらない。
私と孝子は、現在の車に乗り換えてからは、自由気ままにくるま旅を楽しんでいる。
まさに車中泊車さまさまである。

残念なのは、旅先で出会った地酒をグイっといく目的が、果たせなかった事である。
現在の車に乗り換えて直ぐか、納車待ちの時かに、私のアルコールにドクターストップがかかった。
やけくその私は、ついでに一日二箱吸っていた煙草も同時に止めた。
人一倍意思は強い、止めると決めたらやめる。数少ない私の自慢できる点である。
今では、孝子が私の目的を十二分に満喫している。自宅でも晩酌するのだが、旅先の地酒には目が無い。満面の笑みで私の目の前でグイグイ飲む、そして愚だ巻いて爆睡。
ついつい車談義が長くなった。そんな一寸変わった仕様の車なのでマイカーの一日車検とはいかないのだ。

車検は毎年車を購入したキャンピングカーランド名古屋にお願いしている。
我が家から車で一時間程かかる。19日も9時過ぎに自宅を出発、先方に10時の開店時間を少し過ぎて到着した。
先方の担当者と車検の点検項目の打ち合わせや、コロナのせいで、くるま旅が激減したことなどの世間話を20分程度して、代車で帰路へついた。

帰る途中、孝子の気まぐれで、尾張旭市のイトーヨーカ堂に立ち寄り買い物をした。
買い物を出て、森林公園を通過し春日井市に近づいた、来るときに目をつけていた回転ずしの看板が目に入る。
『スシロー』とあまり名を聞かない『長次郎』の看板が並んでいた。どっちにしようか悩む間もなく、孝子が
「長次郎入るよ、食べた事無いから」の一言。
時間も時間、阿吽の呼吸で、孝子も寿司食う事に決めていたのだ。
コロナ禍で、トンとご無沙汰の外食である。
孝子が、受付の紙に名前と人数を記載して、店外に出て来た。店内で待っている人も居たが、ここはソーシャルディスタンス。
丁度昼時で、座席もある程度空けて客を入れているので、相当待つことは覚悟していた。食い意地である。
予想外に30分程度の待ち時間で、カウンター席に案内された。
孝子も私もひたすら食べた。新しい生活様式、食べる時は口をきかずもなかなか良い。
しかし、食う事に集中して、いささか食べ過ぎた。
愛知県はサビを効かさない店が多いが、ここ『長次郎』はサビが効いて孝子と私の好みにぴったり、ネタも新鮮でおいしかった。

孝子が帰りに春日井の『ぐぅぴぃひろば』(JAの直売市場)で買い物して帰ると言っていたが、これだけお腹一杯では、買い物する気にもならないだろうと思い通過しようとすると
「買い物寄るよ」と孝子の指示が飛んだ。
慌てた私は、入口を少し間違えたが、どうにか『ぐぅぴぃひろば』に到着、私は車で待機、孝子一人店内へ入って行った。
案外早く出て来た孝子は、やけに上機嫌である。

自宅について孝子が
「今夜は、サザエのつぼ焼きよ」と言う。
「さっきあれだけすし食べてよく入るね」
「夜までにはお腹空くよ、カニも茹でるよ」
本当に食う事には抜け目がない孝子である。『ぐぅぴぃひろば』には、知多半島から鮮魚を運んできている魚屋が入っている。
孝子はその店がお気に入りである。
美味しい鮮魚を買って来るのは私も歓迎なのだが、鮮魚は日持ちしない、二人暮らしの私たちには食べる限度がある。
そこのところを孝子は分かっていない。いや、分かっていないのではなく、旨いもの見るとブレーキが効かないのだ。
この日もサザエやカニ以外に、サバやアジ、シラスなど、てんこ盛りであった。
何せ日持ちしないので、立て続けに食べて行かないと行けない。
そんな訳で、食べ過ぎの日々が続いている。

食欲の秋である。車が車検から戻ってきて、コロナも終息し早く行楽の秋になる事を願ってやまない。

編集履歴 9月23日 ブログ中のすし屋の名称が間違っていることに気付き訂正しました。
『次郎長』➡『長次郎』に訂正。
尚、場所も春日井市ではなく、春日井市に入る前の名古屋市守山区でした。
既に読まれた方にお詫びします。

ラジオ体操

私は、早起きのほうである。
今朝は、5時45分に目覚めた。ここ数日寝つきが悪く、寝る前に眠剤を服用していた。
その影響なのか、今朝は頭が重い。そんな時は、二度寝にかぎるのだが、今朝はそうもいかない。
朝寝坊の孝子を叩き起こし、ラジオ体操に連れて行く約束をしている。
先週末、退院してから、私は早朝のウォーキングを続けている。まだ体調が万全で無いので、ウォーキングと言っても、朝のお散歩程度である。
そんな中、朝6時30分から近くの公園でラジオ体操をやっているのに気付いた。最初は退院翌日の、土曜日だったので、土日限定で行っているのかもと思っていたのだが、それから毎日、平日でも実施している。
そんな訳で、私は朝の散歩の途中に、この公園でラジオ体操をするのが、日課になりつつある。
現役の頃、会社の始業はラジオ体操からであった。慣れ親しんで居るつもりだったが、公園のラジオ体操は、第2もやる。
ラジオ体操第2は、遠い遠い昔にやった記憶はあるが、体はすっかり忘れてしまっている。
一日目より、二日目と少しづつ体も忘れていた動きを取り戻しつつある。第1よりリズミカルで、一寸だけハードな感じがするが、それが新鮮で気持ちが良い。

そんなラジオ体操の事を数日前に孝子に教えた。
「なんで早よう教えん」と孝子。
「やるんか?6時半からだぞ、起きれん起きれん」
「私だって、やる時はやるよ」
「ほ~」と孝子の朝寝と何十年と付き合ってきた私は、鼻で返事していた。
昨夜、晩酌の焼酎が何時もより一杯多かった孝子が、
「ラジオ体操何で起こさん」と絡んできた
「6時と言えば夜中だぞ、起きるんか」
「おまはん、馬鹿にしとんか!私だってやる時はやるんじゃ」とお冠「明日起こせよ」
こんな時は、変に反抗せず。
「はい、はい」
「はいは、一回でよい」と言いながら孝子の首がこくりと前に。
酔っぱらいは適当にあしらって、先に床に就いた私。

そんな訳で今朝は孝子を起こさないといけない。普通だと、アンだけ言うなら自分で目覚ましでもセットして起きるのが当然だが、そんな事をするタマではない。
私の洗面が終わり、ちょうど6時
「時間だよ」と夏場はドアを開けっ放しの孝子の部屋を覗く
大の字で寝てると思っていた孝子が、な・なんと、起き上がっている。やっぱりやる時はやる。感心!
「おはよう」と昨夜とは打って変わって機嫌が良い。

二人で、公園に行き、6時30分からのラジオ体操をし、朝の寝ぼけた体に喝を入れた。その後、何時もなら1時間位歩くのだが、今日は孝子は、市の主催する生涯学習の講座がある。
8時過ぎには出かけるとの事で、ウォーキングは30分で切り上げた。
「歩かなくても毎朝ラジオ体操に参加ると良いよ」と私が提案すると
「私も、それで早起きになれるかな」と妙にまともな返事が孝子から帰って来た。

ちゃらんぽらんなようで、根は真面目な孝子である。
堅物過ぎて『取り扱い注意』のラベルを背中に貼りたいこともあるが?
良い所も、てんこ盛りの孝子である。(この一行は重要な意味が有る)

68歳の肝臓

9月7日に入院して、翌日に肝細胞癌の手術をした。
前回の胃癌の時は、開腹手術でしたが、今回は腹腔鏡下の手術だ。
開腹手術とは雲泥の差で、手術の翌日には立ち上がって歩くことが出来た。
そんな訳で、早くも明日退院だ。
お腹には7個の穴が開けられている。

私は主人の持ち物である。持ち物と言っても、手に持ったり、ポケットに入れたりするものではない。
書き出しの文章は、怠け者の私の持ち主が、退院前日の9月10日に書きかけて、下書きに放り込んでいたものである。
いくら経過良好でも、術後2日しかたっていない。
持ち主の怠け癖も有るが、微熱が継続中で歩行しているが、頭の中の脳細胞の集中力が無くなっている。
アップしようと思って書き出した主人であるが、一時間もたたない内に放り投げた。
主人は一昨日予定通り退院。昨日は、休んでいる間のメールの整理を気合いでこなしていた。

手術翌日には、病棟の面会スペースまで歩いて行って、本棚から本を病室に持ち込んでた。
主人と一緒に部屋に、入って来たリハビリ科のお兄ちゃんと、お姉ちゃん
「もう起き上がるだけでなく、歩けるんですか?今日はとりあえず起き上がらせようと来たのに」
とお兄ちゃんが言った。
「気合いよ、前回リハビリのお兄ちゃんに散々イジメられたのでね」
「手術の翌日に立てる人はいても、歩けるとはねぇ。とりあえ酸素量だけ測るか」とお姉ちゃんに指示した。お姉ちゃんが主人の指先に洗濯ばさみみたいなものをつけた。それでリハビリ終了、手持ち無沙汰に引き上げていた。

こんな会話を腹の皮1枚挟んで、聞いていた。私自身じゃなくて私の所有者が、他人に褒められる。
なんか、変な感じではあるが、嬉しい。

そう、もうお分かりと思うが、私の主人68歳の肝臓である。
今日も、主人は微熱が続いている。先ほど体温測定して、
「38度9分あるよ、39度近くあればもっとしんどいはずなのに。孝子測ってみて」と細君の孝子さんに言っていた。細君が自分も熱測ってみて
「37度4分。やっぱり体温計がおかしいかも」と細君
シチズンの電子体温計で、製造年が06年になっている。多分西暦だろう、壊れて当たり前かも。
物を大切にする事は、良い事だが、限度もんである。

肝細胞癌の手術の時、私の周りに眩いばかりの照明が当てられて、目玉みたいなカメラに覗き見された。
あまり気持ちの良いものでもないが、ご主人は何の痛みも感じていないようだ。別の穴から何かが挿入され、私の中の胃に近い部分の癌を切り取っていく。腹の皮を隔てた執刀医の言葉から、以前の胃癌手術跡と癒着していて、少し慎重に手術が進んでいることが分かる。
肝細胞癌は2カ所あり、2カ所目は私の右上部、大角膜の直ぐ下だ。1カ所目と離れているので、別の穴あ開けられ、お腹に計7個の穴。
やる事は1カ所目と同じで有るが、こちらの方は癒着が無い分楽勝だったようだ。

何せ私もご主人の持ち物であっても、お腹の中が私の住まい。外の世界は全く見えない。
腹の皮1枚を隔てた会話から勝手に想像して部分も有る。
要は、腹腔鏡下の手術とは、こういうものだと、参考までに書いたまでだ。

私の主人は、まだ微熱中。体温計が正確でなくても、平熱で無い事は確かだ。
そんな訳で、私もブログに少しだけ貢献してみた。

私個人としては、手術が楽だった、2カ所目の右上の癌切除後の方が、痛い。
肺が有って大角膜で隔たっていても、ご主人が、大きな呼吸をしたり、せき込んだりすると、私は、揺さぶられたり、大角膜に押しつぶされたり、散々である。
私の所有者も痛いらしく、今日は小さな呼吸で、せき込まないように注意しているようだ。

私と、私の所有者、しっかりタッグを組んで頑張るのみである。

編集履歴
ブログアップ後、ご主人様は、アイスノンで頭を冷やして、ベッドへダウン。
約1時間半、熱が下降傾向になった。
間違いのチェックもせず、アップしていたので、再度見直す。
なんと、誤字脱字の山、慌てて修正した。
御主人様の熱の影響が、当然私にも出てたのだろう。
単に、言い訳に過ぎないが、既に読んでくれていた人、ごめんなさい🙇

手術説明と入院手続き

今日は外科の手術説明の日であった。
外科の予約時間は13時であったが、手術前の歯科口腔外科の診察が有る。その為、少し早めに病院へ行った。
今日と、手術日は、孝子の同伴が必要だ。家族にも手術の説明および同意を得る為である。
11時30分に病院に到着するように家を出た。
昼食の時間が取れない可能性が有るので、孝子に丁重にお願いして、同伴してもらった。
孝子は、空腹になると機嫌が悪くなる。それが心配で、家を出る前に
「軽く何か食べてく」と聞くと
「病院にも食べるとこ有るから、いいよ」と軽く断られた。
私は、病院には食堂やコンビニ、コーヒーショップが有るが、そこを利用する時間の空きが出来るか不安であった。

病院に着くと、普通は診察券を自動受付機に入れて、受付票を受け取るのだが、月初めは、総合受付で保険証を確認後、受付票をもらう。
その後は、受付票に記載されている検査や診察の順番に従い、検査や診察を受ける。

受付票には、最初に「放射線科」になっている。歯科と外科以外は聞いてないぞ、と思いつつ放射線科受付に言った。
受付の人が
「歯のレントゲンですね、右側の奥の3番の前でお待ちください」と言った。
なんだ、歯科口腔外科の前のレントゲン検査なんだ。孝子は放射線科受付前で
「私ここの椅子に座って待ってるね」と言って、放射線科受付前の待合室に入って行った。
私は受付で指示された3番の前へ行って椅子に腰かけようとした途端、3番のドアが開き名前を呼ばれた。
レントゲンは10分もかからずに終了、孝子の待っている待合室に戻って、孝子に
「次行くよ」と声をかけた。
「もう終わったの」孝子はちょっぴり不満げに答えた。どうやらTwitterに投稿途中だったようだ。
受付票では次は外科の順番だったが、時間が有るので歯科口腔外科の診察を先に済ませる事にした。

歯科口腔外科の受付に受付票を提示して、名前と生年月日を言うと
「手術前の検査ですね、前にかけて受付番号が表示されるまでお待ちください」と受付の女の子に言われた。ここでも10分も待たずに受付番号が表示され中待合室に入った。
中待合室で少し待たされるのかと思っていたが、診察室の前に看護師が立っていて直ぐに
「診察室へお入りください」と案内された。
歯科医の説明では、手術で全身麻酔する時に、口から肺に管を入れるので、歯が外れて誤飲しないように、外れそうな歯が無いか診察すると言う事であった。
歯科口腔外科の診察も、何の問題もなく10分ぐらいで終了。

外科の受付に行った時は、12時ちょうどだった。外科の受付で、
「診察予定時間が13時なので、昼食食べて来ていい?」と聞く
「受付票預かっておきますから、戻って来たら声を掛けて下さい」とあっさりOKが出た。
孝子に
「飯食べて来て良いみたい、どこにする」と聞くと
「2階の食堂で良いよ」と言う事で、食堂へ移動。孝子はハンバーグ定食、私はカツカレーを頼んだ。
注文して10分弱で、ハンバーグ定食とカツカレーが来た。孝子は、
「ハンバーグあまり美味しくない、突合せのポテトの方がまし」なんて、不平を言いながら食べた。
途中、半分ほど食べて私のカツカレーと交換、
「これもイマイチね」と言いながら、完食。
孝子も私も口がこえていると自負している。外食でめったに満足しない。特に孝子はうるさい。

食事が終わり外科の受付に戻り、待合の椅子で13時30分近くまで待たされ、中待合室でさらに30分待たされた。結局1時間近く遅れて、診察室へ入った。
外科の手術担当医は、以前胃癌の手術でもお世話になった先生で、顔なじみである。
「今回は、腹腔鏡手術で行こうと思っています」「その方が術後も楽で術後3,4日で退院できますから」と言った。
前回の胃がんの時は、開腹手術で有った。腹腔鏡なら楽だなぁ~と思っていると、
「だだ、今回2か所癌を切除予定ですが、そのうちの1か所が、以前の胃癌手術箇所に近く、癒着が有る場合、その時点で開腹手術に切り替える事も有ります」と一言。
「おまかせします」と答えるしかなかった。
「それと、前回は無かったのですが、入院前にコロナの検査をしますから」と試験管みたいな容器を出して、
「これと同じ容器を入院手続きの時に渡しますので、唾を少量入れて、生体検査受付に出してください」と言うと、孝子が
「それいいね、安心できる」と横から口を挟んだ。

そんな外科診察室のやり取りの後、入院説明・手続きのカウンターへ移動。
前回の入院から日が経ってないので、簡単に終了、コロナ検査用の唾も、生体検査に出して、16時頃帰宅した。

後は、入院・手術を待つのみ。『まな板の上の鯉』である。

グループラインとふるさと

私の生まれ育ったのが、長崎である事を以前書いた。
その長崎を今台風9号が通過中である。その頃の同級生とグループラインをしているので、テレビの台風情報とは別の視点から現在の長崎の状況を知ることが出来る。
半世紀以上前の同級生は、今は全国に散らばっているのだが、それでも長崎県内在住者が多い。
一時間位前から、スマホが『チン・チン』とひっきりなしだ。
同級生グループラインの音である。
『雨、風が強くなってきた』から始まり、また別の同級生が
『窓ガラスが割れないか心配・・・・』それに対し
『・・・汚くなりますが、ガムテープで補強・・・』と別の同級生がアドバイス
『ダンポールも使えないかな?』と提案する人
同級生は、何かあればあの頃に戻って協力。大人になってから顔も合わせてない同級生も居る。街ですれ違っても、おそらく気付かないだろう。
それでもグループラインの中では、子供の頃の顔を思い浮かべながらバカ話したり、今日のように助け合ったりする。実に良いもんだ。

スマホを使っていない同級生も居るので、グループライン人数は限られるが、それでも同級生の3分の1位の人数はいる。
この歳で、同級生のグループラインが、こんなに盛り上がっているのも珍しいのかも知れない。
最初は少人数だったのだが、友達の輪が広がるみたいに、あっという間に同級生が集まった。
そう言う私も、同級生グループラインの存在を途中で知り、仲間入りした。
最初にグループラインを立ち上げた人には、本当に感謝である。
私たちが育った島は、炭鉱の島で日本から炭鉱が無くなった今は、里帰りする人も居ないので、同級生と会う事も無いと思っていた。

私たちは、ふるさとが無くなったのだ。
ところが、この同級生のグループラインで、お互いの消息が分かった。
この歳なので、既に亡くなった同級生も居るが、グループラインが出来るまでは、その情報さえ知らなかったのだ。
数年おきに同窓会も実施している。ただ、故郷が無い私たちは、お盆や正月の里帰り時に故郷で同窓会と言うわけにはいかない。
全国に散らばっている同級生の、要望で開催場所も変えているので、どうしても参加率は低い。
そんな訳で、同級生グループラインのメンバーでもまだ顔を合わせてない同級生も多いのだ。

この歳になっても、借家住まいの私、大して金が無いのも確かなのだが、どこを終の棲家にしようか決める事が出来づにいるのも確かである。
多くの人は、自分の現役時に勤めている街に家を建てる。あるいは、現役を引退したら故郷に帰って終の棲家を建てたりするだろう。
私の場合、現役で勤めていた街に家を建てても、その家に帰ってくる子供は居ない。仕事を退職し孝子と二人で暮らす街としては今一つ。現役を引退したら、田舎暮らしも良いなと思うが、帰るふるさとが無い。
ネットで最近流行りの、移住サイトを検索しているが、未だに終の棲家を決めることが出来ない。
そうこうしているうちに、私の病気。あまり田舎だと医療体制が不安。
そんなこんなで、今はURの賃貸に住んでいる。
何処に終の棲家を構えても、子供のいない私たちの家は何れ廃屋となり、ご近所に迷惑をかける。
そう考えると、なかなか結論が出ない。
ふるさとが無いのは辛い。