arakabu-kamenoteのブログ

あちこちガタがきだしたオヤジの日々の記録です。

夏の終わり

今年の夏は、蚊がいない。蚊も異常は暑さに負けたのだろうか?
それとも新型コロナで死んでしまったのだろうか?夏前に用意していた蚊取り線香の活躍の場が少なかった事に夏の終わりになって気が付いた。
猛暑が続いた8月、幸か不幸か私は大半を病院の病室で過ごした。その為、暑さ知らずであった。
ここ数日自宅での生活に戻り、暑さにうんざりしている。
この猛暑の中、孝子は一人自宅で頑張っていたのだ。
ケチな孝子がエアコンも点けずに熱中症で一人孤独死なんて事もなく、この夏をのりきったのだ。
頭が下がる。孝子は私より数段賢いのかもしれない。
お釈迦様の手の上で遊ばさされている孫悟空のように、私は孝子の掌の上で、都合よくこき使われているのかも知れない。
女は強いのだ。
蚊も確かオスは刺さないが、メスは人を刺す。うる覚えの知識で有るのであまり自信は無いが、そう記憶している。
なんか、寒気がしてきた。『ブルん・・』 いけねぇ・いけねぇ・もういけねぇ!

「暇そうね、手伝って」と台所のカウンター越しに、お声がかかって、我にかえった。
「あいよ」と調子よく返事を返した。
「こないだテレビでやってたアジの寿司つくてるから、これ骨取って」とカウンターの上に焼いたアジが入ったトレイと、骨入れのプラ容器が並んだ。
私は、それを受け取りテーブルの上に置いた。
「小骨も全部取る?」
「二人で食べるんだから、適当でいいよ、骨取ったら身を小さくほぐしといて」
言われるままに、私は作業開始。
背骨の大きい骨をとると結構身が付いている。わざわざ丁寧に分けないで、自分の口に放り込んで身だけ食べて残った骨はプラ容器に出す。
結構おいしいお手伝いである。焼かれた二匹分のアジの開きは数分で骨抜きになった。
まるで適当に孝子にあしらわれている私の姿を見ているようだ。
アジの開きに変に同情しながら、残った身を更に小さく解していった。
『こうはなるまい』と強く心に言い聞かせながらのお手伝いであった。
食事時間、酢飯に混ぜられたアジは、酢飯との絶妙のバランスで大葉のきざみ等が乗り豪華だ。
食卓にはノリの小巻なども並べられ、変なすし屋で食べるよりはるかに美味しかった。
「うまい」と私が褒めると、孝子は
「愛情・愛情」と返すのが口癖であるが、今日は私のアジに対する強い思いもプラスされているのだ。

孝子と私、食う事に対しては妥協を許さない。
猛暑の夏も、今日の天気予報では、あと数日、9月は平年の夏程度の気温に戻りそうだ。
残暑が終わり、私が外科手術を終え退院して、自宅に戻る頃には、食欲の秋到来である。
コロナで近県にしか旅行出来ないが、我が家の車中泊仕様車の活躍の機会だ。
もう我慢の限界!食べ歩きのドライブへGO!!

のんびり

28日に大腸カメラの検査が終了し、異常なしであった。
これで、肝細胞癌の手術前の検査はすべて終了した。手術に支障が有る異常は特になく、後は外科へ再入院して、手術を待つだけだ。
9月4日に外科の担当医から入院及び手術の説明と歯科口腔外科の診察が有り、9月7日入院、翌日の8日肝臓の手術予定だ。
通院検査の日々が続いたが、暫くはのんびりできる。

内科を退院してから、自宅では10月からの仕事復帰に向けて、10月の仕事のスケジュールを作成したり、9月に予定していた仕事の代務を他の人に依頼したりと、結構忙しかった。
よく、肝臓は沈黙の臓器と言われるが、私の場合も例外では無い。肝細胞癌でも普段は痛くもかゆくもない、だから仕事も普段通りこなすことが出来る。
全く健康な人だと、発見が遅れて手遅れ、なんて事になるのも、納得である。
幸か不幸か、私の場合色んな持病があり、病院とお友達であったので、今回の肝細胞癌、数何前の胃癌とも、早期発見で有った。
これだけ病気持ちだと少々な事ではビクともしなくなった。
元来暢気者なのだが、特に病気の治療に対しては、機械の修理程度にしか思っていない。
自分が技術者であるので、故障すれば修理で治す、それが当たり前の感覚になっている。
今回も、何の問題もなく修理完了となると思っていたので、実は9月から仕事復帰予定で9月の業務スケジュールも決定していた。
ところが、今回は内科の治療で、完全に修理完了までいかず。外科手術が追加になった。ちょっと前に流行った『想定外』である。
その為、一旦退院して、貴重は自宅での時間を、仕事のスケジュール調整に費やすこととなった。
それも終了して、つかの間ののんびりした日々になった。

昨日の朝は、久しぶりにウォーキングをした。
手術前に無理も出来ないが、体力は付けておく必要がある。何時もだと1時間近く歩くのだが、久しぶりの運動だったので、30分弱軽く流した程度であった。
連日の猛暑日が続いているので、涼しいうちにと思い、朝6時前に自宅を出た。日曜日であるので、その時間でもかなりの人が歩いていた。
歩き終わりに近くのコンビニに立ち寄り、朝食用の食パンを購入し、自宅へ戻った。

自宅で、お決まりの朝食を作って食べて、食後のコヒータイム中
「おはよう、早いね」との声、孝子のお目覚めである。
「おはよう」と私も返事をかえす。私がすでに食後のコヒーを飲んでいたので
「何食べた」と孝子が聞いてきた。
「いつも通りパンだよ」
「食パン切れてたのに、買いに行った」
「ちょっと歩いてきたから、ついでに買ってきた」
そんな何時もと変わらない会話で、日曜の朝が始まった。

何の変哲もない毎日、退屈だとも思うが、何の変化もないこんな日々が続くことは、幸せなのかも知れにない。

検査食

「もう起きる」
「夕べ早く寝たから」
まだ、6時前である。孝子が珍しく早起きした。
内科を退院して自宅に戻ってから、それぞれの部屋のベッドで寝ていた孝子と私だが、リビングに隣接した和室にベッドのマットを持ち込んで、一緒に寝ている。
昔に帰って仲良しになったのではない。それぞれの部屋にエアコンが無いので、暑さに負けてエアコンが有るこの部屋に逃げ込んだのだ。
と書くと、仲良しではないように誤解されると困るが、仲良しでも卒業した事も有るだけだ。

明日は大腸カメラ検査が有る。
今朝からは、病院で購入してきた検査食以外は口にできない。
検査食は、当然ではあるが、ボリュームが無い、当然空腹が予想される。
普段早起きの私は、今日はゆっくり寝て、粗食に耐えるように考えていたのだが、こんな時に限って、孝子が早起きしたのだ。
それぞれの部屋のベッドなら、孝子は孝子、私は私で、自由に寝る事が出来るのだが、ベッドではない。
和室では、一人だけ勝手に寝続けて、掃除が出来ないと孝子の雷が落ちるに決まっている。
仕方なく私も早起き、三つ折りに出来る二人分のベッド用のマットレスを折りたたんで、積み重ねて、寝室から本来の和室に戻した。

まだ検査食の朝食を作って食べるには早すぎる。
頭はまだ寝ている私は、和室の畳でごろ寝を決め込んだ。
ひんやりとした畳の感覚、夏の朝のごろ寝には持って来いである。
ケチな孝子は、自分の目覚めと同時に部屋中の窓を開けエアコンは止めてしまった。
コロナ対策としては最善策かも知れないが、孝子の場合、この換気は数時間。
エアコンの運転再開は、自分の感覚任せである。
私がかなり暑さを感じる時間になっても、ちょっと感覚が鈍い孝子はエアコンをつけない。

一時間位ごろ寝して、そろそろ朝食にしようと起き上がると、孝子はソファーにごろ寝して、スマホに向かっていた。最近ハマっているツイッターである。
検査食の朝食は、朝がゆとみそ汁、レンジとお湯さえあれば出来上がるレトルトであるので勝手に作って食べようと思ったのだが、一応孝子に声をかけた。
「明日検査食ね、私一人美味しいもの食べていいのかな?」と昨夜愁傷な事を言っていたのを思い出したからだ。
「朝飯にするよ」と声をかけると
「私も食べると」とスマホを置いて、テーブルに来た。
孝子が検査食の朝食の作り方に目を通し作ってやろうとしたが、どうもレンジでの作り方と、お湯につける作り方を混同している。
心もとないので、結局私が自分で作った。
孝子は、トーストとヨーグルトの朝食を私と一緒にとった。
私に合わせて、かなり粗食だ、感心・感心。
昼も夜も私の検査食に合わせて、粗食にするかどうか?今は知るすべもない。
孝子も私も基本、食いしん坊なのだ。我慢もどこまで続くか?
仲良しだからとと言っても、こればかりは別。

やっぱり仲良しではないのかも。おお こわ
今日は夕食の検査食を夜7時までに済ませて、8時と10時に下剤を飲む。
明日は、朝から午後の検査終了まで断食である。
先は長い、ひたすら我慢である。

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検査食セットと今朝の朝食

胃カメラ

今日は胃カメラ検査の日であった。
12時20分ごろ病院の検査が終わり帰宅した。
昨日の夜9時から何も食べていなかったので、空腹だったのだが、胃カメラが胃の中を動きまわったので、まだ違和感が残っている。
食卓には昼食の小鉢類がすでに並んでいた。
普通なら食卓に真っ先に座り、孝子を急かせるのだが、今日は大人しく荷物の片づけから始めた。
病院の次の検査、28日の大腸カメラの為の、検査食や下剤、腸の洗浄液などを胃カメラ後に頂いていた。病院の帰りに孝子から買い物も頼まれていたので、荷物が多い。
孝子から頼まれていた買い物は、食パンで有ったが、買い物に立ち寄るついでに、私用のニベアのフェースクリームや歯磨き後に使用するモンダミンプレミアムのノンアルコールタイプも購入したので、少し重くなった。

食パンは、私の朝食専用で明日の分まで有ったのだが、普段朝食を摂らない孝子が、今朝に限って朝食を摂った。
孝子は、ウインナーや野菜類、豪華な時はゆで卵をコッペパンに挟んでホットドッグ風にして食べる。その為、孝子専用の真ん中に縦割りの裂け目があるコッペパンが有ったのだが、パンをレンジで少し温めようとして、ミス パンは発火寸前の黒焦げに、
「ちょっと失敗したから食パンもらうね」
「今日、朝飯食べるのか」
「うん、食パンなくなるから病院帰りに買って来て」
「人が検査で食べられないという時に限って目の前で食べるのか」と嫌味を言ったが、孝子に聞こえたかどうか?
孝子は都合がいい事しか聞こえない特殊な耳の持ち主なのだ。
病院の帰りにパンを買うには、自宅近くのドラッグストアーに限る。私のニベアも切れかかてるし、あそこのモンダミンには、おまけの250mLの小さなボトルが付いている。
外科手術入院の時持っていくのにちょうど良いサイズだ。
そんな思いもあり買い物をあっさり引き受けた。
「買ってくるけど、あそこのポイントカード貸して」
「これよ、ポイントで買っても良いよ」
「食パン以外に自分のモノも買うけど?」
「そんなら自分のペイペイで払って」
ケチな孝子、想定内の返事であった。ペイペイの残高チャージして病院へ出発した。

病院はコロナ対策が日々進化して、つい先日までは、係の人が入口で体温チェックしていたが、今朝はサーモカメラになっていた。
胃カメラ内視鏡室内に4カ所ぐらいの検査ブースがあり、あまり待たずに検査できたが、今回は内視鏡室に一人しか入室させず、検査ブースも一か所使用のみで、1時間位待たされた。
待った割には検査は10分ぐらいで終了。
以前の胃がんの手術跡や一か所あるポリプなどの画像説明を受け、異常なしであった。

会計終了後、次の大腸カメラの説明と、事前準備品が渡された。
前回は検査当日の朝、病院の検査準備室のような所に、検査予定者が集まり、検査液を大量に飲まされて、トイレに駆け込む事、数回。看護師が便のチェックをし、腸が綺麗になったのを確認。合格すればやっと大腸カメラであった。
検査準備室内のトイレがすべて使用中だと、おしりを押さえて最寄りのトイレへ。てんてこ舞いした苦い思い出がある。
今回は、コロナ対策で、すべて自宅で準備し、検査時間前に病院に行き、最終の便のチェックをうけて、大腸カメラとなるそうだ。
万歳である。検査前の醜態をさらさなくて済む。
この歳に成ると、おしりの穴を見られることに、何の羞恥心もない。
これが老けたと言う事かもしれない。
若いころ痔の手術を受ける事になり、手術は上向きか?うつ伏せか?悩んだことが嘘のようである。

自宅の朝

久しぶりの自宅の朝である。
何時もは直ぐにお決まりの朝食の準備にかかるのだが、今朝はコーヒーを煎れてゆっくりと朝の一時である。
5時前に外が薄明るくなり、目覚めた。それから暫くして、東側の出窓から、雲の間に上がる朝日を見ることが出来た。
病室の窓は大パノラマであったが、北向きの為、朝日を見る事は出来なかった。久しぶりの朝の太陽である。
このまま朝食にするのは、何となくもったいない気分になり、朝のコーヒータイムをたのしんでいる。
昨日の午前中に退院したのだが、今後の通院、外科手術の予定は、昨日の夕方電話にて連絡をもらう予定で有ったので、それまでは自宅に帰っても何となく落ち着けなかった。
昨日5時過ぎに、内科担当医から電話があり、外科手術の為の事前検査の日程の連絡が有った。
来週火曜日が、胃カメラ。同じく金曜日が、大腸カメラの検査予定だ。
その結果、問題が無ければ、9月8日 肝細胞癌の手術予定  との事であった。
内科で処置に待ったがかかった、ラジオ波焼灼するはずだった癌細胞も外科手術で摘出するとのことであった。
結局、外科手術で今回見つかった肝細胞癌2か所とも摘出してしまうので、何となく内科の治療入院は何だったのかとも感じるが、医者としては、私のようにB型肝炎起因の肝細胞癌は頻繁に再発するので、外科手術で肝臓を切るのは出来るだけ避けたいようだ。
小さくなった肝臓に再度肝細胞癌が出来ると、再度外科手術とは、行かない。
肝機能に影響するからだ。
そんな理由で、出来る限り内科的な治療で、肝細胞癌が発生するたびに叩いていく。
現状ではそれが一番の肝細胞癌の対応策のようだ。
今回の外科手術は、内科と外科の週一回の会議で、私の肝機能の状態と現在の肝細胞癌の再発リスク等の検討をして、外科手術の選択になったようだ。
まな板の上の鯉 である。
医者の決めた事、切るなり焼くなり 勝手にしてくれの気分に近いのかも。
素人には分からないが、プロにはプロの考えが有る。
それに従うのも悪くない。変に悪あがきしても決して良い結果は出ないと思っている。
医学の事は分からないが、私は自分の仕事に誇りを持ち、プロだと自負している。
自分の仕事に対し、様々な疑問や質問をされても、それを分かりやすく説明して対応する事が出来て初めてプロと言える。
私は、人にわかってもらえるには、まず人の話をよく聞く事、『聞く耳を持つ』事が一番だと思っている。
耳は飾りではないのだ。

若いころから、私は『聞く』事を大切にしてきた。
学校の授業でノートをとるのに夢中で先生の顔なんて見ない人もいたが、
私はノートは二の次、とにかく先生の顔を見て、聞く事に専念した。
そんな訳で、私のノートは誰も読むことが出来ない記号か文字かも分からない状態であった。
私も声に出して読めと言われたら困るのであるが、それを見るとその時の先生の話が頭に浮かんでくる。
私は、それで良いと思っていたので、この歳に成ってもミミズがはった様な字しか書けず、恥ずかしい思いをすることも有る。
しかし、私が聞く事を大事にしてきたおかげで、今人並みの人生を送る事が出来ていると思っている。
私の悪い癖だが、人の耳の大きさで「出来る人」「出来ない人」を無意識に仕分けしている時がある。
「耳が大きい」=「人の話がよく聞ける」=「出来る人」
なんて到底有りえない式が、頭で勝手に動いている。

自分は出来ると思っているから、頭の中での無意識の思い込みになっている。
「あんたのスキルなんて、今まであんたが居た狭い世界でしか通用しないよ」
と天の声が聞こえてくる。
やっぱり修行が足りない、
『喝!』

あ、おなか空いてきた。そろそろ朝食にしよう~
孝子まだ寝てるし、やっぱり自分で作るか?
一寸まじめな事考えてたかと思うと、直ぐ食い気。
やっぱりアホかな~
「あんた癌だぞ、少しは真剣にならんかい」と又天の声!
「あの世に行ったらよろしくね」と天の神様に心の中でご挨拶。
ご挨拶も済んだし、さ、食事、食事!

仕切り直し

昨日は午後から色々と有った。
先に書いたと思うが、今週予定の肝細胞癌の『ラジオ波焼灼』治療のための、前準備としてエコー検査を、月曜日に実施した。
エコーでラジオ波の電極を癌細胞に刺すルートを検討するのだ。
それが終われば、本番まじかと私は思っていた。
「後で説明に来ますね」とエコー検査室から出る時に、声をかけた主治医が、いくら待っても病室に来なかった。
孝子が面会に来た夕方
「まだ先生来ないの」
「直ぐにも来そうな感じで言ったから、病室空けずに待ってんだけどね」
「何か有るのかな」
「心配ないと思うよ。診察が忙しい時は、夜来たりするから」
実際に夜の消灯時間近くに来たりするので、私は孝子にそう答えた。
長時間の面会はコロナで出来ないので、孝子は早々に引き上げていった。
とうとう、月曜日は先生に会うことは無かった。
次の朝、つまり昨日の朝、朝一番に病室に来た看護師が、
「先生から明日の事聞いてます」
「何も」
「そうですか」ともったいつけながら、血圧と体温測定をした。
「後で先生来ると思います」
明日、ラジオ波治療なんだ、看護師には連絡有ったんだなーと勝手に解釈した。
お昼前に同じ看護師が病室に来て、
「まだ先生来ないんですか」
「来ないよ」
「先生の説明が終わってからと思ったんですが、明日ラジオ波治療で、今夜の薬服用以降絶飲食です」
と言いながら、A3用紙に治療前後の予定を書いてラミネートした説明書をナースコールボタンの横に掛けながら言った。
「治療の同意書、まだ書いてもらってないので、先生が持ってくると思います」
と言って出て行った。
その後もなかなか先生は来なかった。
夕方になって、4時ごろやっと先生が来た。
何時もは孝子が来る時間だが、今日はまだ来ていない。
「もう予定表貼ってるね、看護師さんから聞いたと思うけどラジオ波明日行う予定です」
行いますとは断言しない、歯切れの悪い言い方だ。
「実は癌が肝臓の上の方に有って、横隔膜や肺に近く治療しにくい位置に有ります」
「書いて説明しますね、絵下手だけど」と言って説明してくれた。
要点は電極を横隔膜を傷つけずに患部に刺すのに慎重を要する事。
肺の空気でエコーでは患部の位置が確認しづらい事。
他の臓器に近いので、相当な痛みを感じる事。
等で有ったが、それぞれの対応策を説明して、処置の内容から内科医が3人ぐらい要るので、
開始時間が自分だけでは決定出来ない。との事。
「ところで、もう一か所の方ですが、前回治療した個所の再発かもしれません」
「そう考えると悪質な腫瘍の可能性も考慮して、外科と相談し外科手術で処置してもらいます」
と言う。入院期間がどうなるか確認すると
「内科の治療終了後、一度退院になります。外科の入院は手術前の検査等ではっきりしませんが、あまり間を置きたくないので、9月中にはと思っています」
と言う事だった。
先生の説明が終わり病室を出て行くと、孝子からLIN。
『暑さに負けて、今日は行かない』との事
外科手術の事は連絡しないと、と思い孝子に電話して、明日の治療の事と外科手術の事を伝えた。
心配になったのか、孝子は5時ごろ病室に顔を出した。
治療の説明書や、先生が書いた説明図等を見せると、仕方なそうな、情けない顔をしていた。
どっちが患者か分からない。
説明の時、主治医が歯切れの悪い言い方をした理由だが、
外科手術予定なので、今回のラジオ波治療も開腹時外科で実施出来ないか、相談中で回答がない。明日の朝には回答が有るはずで、それによっては、今回のラジオ波治療は中止になる為であった。
只、外科と内科の守備範囲が違うので、ラジオ波治療は内科ですべきだと思っているとのことであった。
いずれにしても明日の朝はっきりする。

孝子が帰って、夕食を食べていると
「失礼します、また来ました」と再び主治医登場である。
私が箸を止めると
「食事中ですね、食べながらで結構です」
そう言われても、そうもいかない。一応先生の方に向き直った。
「さっき説明した明日の治療中止です」と結論を先に言った。
「あの後内科の話し合いで、横隔膜との癒着の危険もあるというので待ったがかかりました」
「○○さんの今後の治療については、外科内科の全体会議にかけてみる事になりました」
その結果で今後の治療方針が決まると言う事だ。

ま、その結果を待つしかない、そんなわけで今日の痛みを免れ少しホットしてブログを書いている。
後はCT等の検査があり、今回は金曜日には退院できる。
仕切り直しである。

病室より

空には雲一つない、8月16日夏の真っ盛りである。
病室の窓から、北側の景色をパノラマのように望むことが出来る。
北側は自宅のある方向で、自宅近くの桃花台中央公園の高台にある給水塔を望むことが出来る。
この給水塔は、頭でっかちで、上部に大きな円盤が付いたような形である。孝子も私もこの塔をUFOと呼んでいる。
そのUFOのさらに先に山が見える、その付近は入鹿池明治村、その一寸先がリトルワールドなどの観光名所がある。
勿論、病室からは望むこともできないのだが、頭の中では見えている。
その山の裏側は、岐阜県である。可児市各務原市になる。
各務原の方向は、自宅方向より西側が大きく、その方向は、病室の窓からよく見える。
遮る山が無いのだ。愛知県中央部は山が無いので、どこまでも見える。
岐阜県の県境に近い自宅からでも、ウォーキングルートの途中、名古屋駅のツインタワーが見える。
14日の夜は、各務原の方向で、花火が上がっていた。お盆の花火大会なのか、最近よく行われているサプライズ花火なのか不明であるが、はるか遠くに大輪の花が見えた。
ここからは小輪にしか見えなかったが、それは仕方がない。
さらに西側に目をやると伊吹山が見える。たしか花の百名山だったと思う。
山にはよく行っていたが、伊吹山は一度きりだ。
案外近いのに、東側の山にばかり拘っていた。信州の中央アルプス北アルプスの山々だ。
ついこの間まで(元気なころ)百名山を制覇したい、なんて思っていたが、もうその体力がない。一寸だけ嘆かわしい。
これからは、伊吹山やもっと低い低山を孝子と二人でのんびりと歩くのも良いかもしれない。
雲海の上に出て休息、雲の上のお昼寝なんてことは望めないが、いつまでも若くない、その時々の楽しい時間を見つけていければ最高なのかも。

病室の窓からの景色を楽しみながら、色んなことを考える。退屈な入院生活であるが、それなりに考える事も多い。
伊吹山に沈む夕景を見て初めて、あれ伊吹山か?なんて気付くようでは私もまままだ修行が足りん。未熟者である。

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病室の窓より伊吹山方向の夕景


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今日(8月18日)あまりに綺麗なので写真を追加しました。